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【知っておきたい 世界各国の産業用ヘンプ】
アルゼンチン(1)ヘンプを含む全面的な禁止から医療用大麻が開けた突破口
- NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク 理事 赤星栄志
- 第73回 2023年12月26日
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公用語はスペイン語で、人種的にはイタリア系とスペイン系の白人が97%を占める。米国の経済学者サイモン・クズネッツは、「世界には、4つの国しかない。先進国と発展途上国、そして日本とアルゼンチンである」というジョークを飛ばしたそうだ。のちにアルゼンチンが20世紀の間に先進国から途上国へ転落したことを知らしめる言葉になった。
南米大陸にヘンプを持ち込んだのは、大航海時代の15~16世紀にスペイン人が征服した頃とされている。1545年にスペイン国王カルロスI世は『印度書』第4巻第18節の法律第20号を通じて、植民地の総督や知事にフラックス(亜麻)とヘンプの播種を命じた。これは当時の帆船にヘンプ製のロープや帆布が不可欠で、その原料を確保するためだった。
18世紀以降の文献では、独立運動の指導者であるマヌエル・ベルグラーノが、首都ブエノスアイレスの商務省に務めていた3年間の回想録として発行した『フラックスとヘンプの栽培による地域にもたらす利益』(1797年)に、スペインからの独立後の経済ビジョンを示していた。また、1869年に行なわれた同国初の国勢調査では、チリ国境に近い内陸部のメンドーサ州でのヘンプ栽培の記録がある。その後、1935年に農学者フアン・L・テネンバムが記した『ヘンプ:栽培の手引き』をアルゼンチン農業省が発行した。
この時代にヘンプ栽培を大きく手掛けたのはブエノスアイレス郊外のハウレギに拠点のあった織物会社、リネーラ・ボナエレンセ社である。フラックスの生産を補うために、53年に6haからヘンプ栽培を始め、50年代後半には200haに拡大した(図1)。
マリファナの流行でヘンプ栽培は終焉へ
南米大陸にヘンプを持ち込んだのは、大航海時代の15~16世紀にスペイン人が征服した頃とされている。1545年にスペイン国王カルロスI世は『印度書』第4巻第18節の法律第20号を通じて、植民地の総督や知事にフラックス(亜麻)とヘンプの播種を命じた。これは当時の帆船にヘンプ製のロープや帆布が不可欠で、その原料を確保するためだった。
18世紀以降の文献では、独立運動の指導者であるマヌエル・ベルグラーノが、首都ブエノスアイレスの商務省に務めていた3年間の回想録として発行した『フラックスとヘンプの栽培による地域にもたらす利益』(1797年)に、スペインからの独立後の経済ビジョンを示していた。また、1869年に行なわれた同国初の国勢調査では、チリ国境に近い内陸部のメンドーサ州でのヘンプ栽培の記録がある。その後、1935年に農学者フアン・L・テネンバムが記した『ヘンプ:栽培の手引き』をアルゼンチン農業省が発行した。
この時代にヘンプ栽培を大きく手掛けたのはブエノスアイレス郊外のハウレギに拠点のあった織物会社、リネーラ・ボナエレンセ社である。フラックスの生産を補うために、53年に6haからヘンプ栽培を始め、50年代後半には200haに拡大した(図1)。
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赤星栄志 アカホシヨシユキ
NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク
理事
1974(昭和49)年、滋賀県生まれ。日本大学農獣医学部卒。同大学院より博士(環境科学)取得。学生時代から環境・農業・NGOをキーワードに活動を始め、農業法人スタッフ、システムエンジニアを経て様々なバイオマス(生物資源)の研究開発事業に従事。現在、NPO法人ヘンプ製品普及協会理事、日本大学大学院総合科学研究所研究員など。主な著書に、『ヘンプ読本』(2006年 築地書館)、『大麻草解体新書』(2011年 明窓出版)など。 【WEBサイト:麻類作物研究センター】http://www.hemp-revo.net
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