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知っておきたい 世界各国の産業用ヘンプ

アルゼンチン(1)ヘンプを含む全面的な禁止から医療用大麻が開けた突破口

アルゼンチン共和国は、南米大陸に位置する世界第8位の面積(日本の約7.5倍)と、人口4600万人を有する。パンパと呼ばれる大平原を中心とした豊かな国土で、農畜水産業が発展した。穀物(小麦、トウモロコシ等)や油糧種子(大豆等)、牛肉などの農畜産物とその加工製品を輸出する世界有数の農業国だ。
公用語はスペイン語で、人種的にはイタリア系とスペイン系の白人が97%を占める。米国の経済学者サイモン・クズネッツは、「世界には、4つの国しかない。先進国と発展途上国、そして日本とアルゼンチンである」というジョークを飛ばしたそうだ。のちにアルゼンチンが20世紀の間に先進国から途上国へ転落したことを知らしめる言葉になった。

マリファナの流行でヘンプ栽培は終焉へ

南米大陸にヘンプを持ち込んだのは、大航海時代の15~16世紀にスペイン人が征服した頃とされている。1545年にスペイン国王カルロスI世は『印度書』第4巻第18節の法律第20号を通じて、植民地の総督や知事にフラックス(亜麻)とヘンプの播種を命じた。これは当時の帆船にヘンプ製のロープや帆布が不可欠で、その原料を確保するためだった。
18世紀以降の文献では、独立運動の指導者であるマヌエル・ベルグラーノが、首都ブエノスアイレスの商務省に務めていた3年間の回想録として発行した『フラックスとヘンプの栽培による地域にもたらす利益』(1797年)に、スペインからの独立後の経済ビジョンを示していた。また、1869年に行なわれた同国初の国勢調査では、チリ国境に近い内陸部のメンドーサ州でのヘンプ栽培の記録がある。その後、1935年に農学者フアン・L・テネンバムが記した『ヘンプ:栽培の手引き』をアルゼンチン農業省が発行した。
この時代にヘンプ栽培を大きく手掛けたのはブエノスアイレス郊外のハウレギに拠点のあった織物会社、リネーラ・ボナエレンセ社である。フラックスの生産を補うために、53年に6haからヘンプ栽培を始め、50年代後半には200haに拡大した(図1)。

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