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【耕すということ】
人はなぜ耕してきたのか
- 農学博士 村井信仁
- 第1回 1993年05月01日
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焼畑から学ぶ
以前、インドネシアの山奥に、農地開発の技術協力で、一年半ほど滞在していたことがある。ここでは、指導を行っていたのだが、逆に多くのことを学んだ。というのは、我われが忘れてしまっている農業の原点と農業発達の経過がそこに残されていたからである。
「焼畑農法」。話には聞いていたが、ここでは、森林に住む人間の食に対する執念を垣間見ることができた。現地の人びとは、大木をマサカりだけで切り倒し、乾季に火を放ち、農地にするのである。宿根性雑草アランアランが茂る平地があるので、そこを農地にすれば楽でよいと考えるが、化学肥料のない世界では、雑草を消すことができたとしても、すでに微量要素などが不足して、作物は生育しないのである。焼畑でなければならない理由があり、苦労して木を倒し、農地とするのである。
焼いてから棒で穴を開け、陸稲などを播種するのだが、見事な生育である。ところが、その焼畑は四~五年で打ちすてられる。作物栽培の過程で、養分が収奪されて生育が劣り、満足な収量が得られなくなり、宿根性の雑草に占領されてしまう。人はまた次の場所に移り、木を切り倒しにかかる。作物の取れなくなった場所は、あまり年数をおかずに森林に戻る場合もあるようだが、多くは宿根性の雑草に覆われた原野と化してしまい、これが延々と繰り広げられる。
森林地帯では人口が少ないので、これでよいとしても、人口が多くなれば、このような方法は大きな環境破壊であり大きな問題となるだろう。
一方、海岸沿いの人口の多い部落ではどうしているのだろうか。さすがにここでは農耕がみられる。鍬で耕し、雑草を始末すると同時に、根圏域を拡大して作物の生育に好適な条件を整えている。もちろん、貝殻を焼いて石灰を作りい堆肥を造成して投与するやり方も行われている。焼畑よりも作物の種類も増えて、陸稲に根菜類が加わる。
掘棒と鍬の世界を比較してみると、鍬の方には再生産があることに気がつく。いわゆる、循環持続的農業である。鍬で耕すことによって、上地の潜在能力を引き出すと同時に、雑草を駆除し、収奪したものを補填してそれが活用できる素地を作る。そのことで、生産性の向上と維持を図っているのである。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
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