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農業経営者ルポ

鍬で耕す男

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第1回 1993年05月01日

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 つまり、全層施肥をした後ロータリーで砕土してそのまま播種するという彼がこれまでやってきた技術体系は、作物を育てるどころか、作物にとってとんでもない悪環境を作ることに思い至ったのである。

 安原さんの解説によれば、作物の吸収根は、その約四〇%が地上から五~一五cmの場所にある。そしてその世界に、微生物たちから線虫、ダニ、甲虫、ミミズ、モグラ、ヘビなど様々な動物の食物連鎖が成立していて、それが植物の根との相互作用を行っていた。

 ところが、過剰な施肥や農薬。そしてロータリー耕一辺倒の表層だけの攬作耕と過剰砕土などが、その相互作用を破壊してしまった。相互作用が保たれていれば、線虫やダニ、昆虫たちは今ほどイタズラ者ではなかったはずだ。

 「今、有機農法だとか、いろんな資材だとか団粒構造だとかといっても、そんなものは、自然の法則に無理せず作物を作っていけば結果としてできていくんだって、昔の人は知っていたんだよな。だってネ、鋤とわずかな肥料だけで、大正時代に米を一二六〇kg(二一俵)も取っている人がいるんだよ。めちゃくちゃ土作ったんだろうけどネ。今、こんなに機械や肥料があって五百数十kgでしよ、馬鹿げていると思わないか」


知識でなく知恵と知覚を養え


 かつて農民は、上や作物の命やその生命力を、手で触れ、足で踏みしめ、鼻で嗅ぎ、目で確かめることで引き出してきた。

 安原さんは、機械や肥料や農薬の存在を否定する人ではない。むしろその研究には人一倍熱心で、メーカーの人を講師に迎えて勉強会を主催するような人である。しかし、現在の農業技術や農業指導に強い批判を持っている。

 「今の農業界には農家自身を含めて先生や評論家や文化人や商売人ばかりが氾濫している。俺たちは生きるために農業しているのであって説明したり解説するために農業しているのではない。数字や計算や言葉だけで経営はできない。それだけなら今までやってきたことの中に落ち込むだけ。知識は覚えればすむことだ。問題は知恵であり、自然の変化を感じる知覚であり、感性ではないかと思う。知恵は単なる対策のハウツーではなく解決能力そのもの、知覚は単に器官があることでなく感じる能力のことなんだ」

 だからこそ安原さんは、鍬を使い始めたのだ。

 彼が鍬を手にしたのは、自然の摂理に合うやり方だと思えた反転耕や深層施肥をやるのに、とりあえずそれしか手段がなかったからだ。しかし安原さんは、トラクターから降りて鍬で耕して一番良かったのは、土と目との距離が近付いたことなのかもしれないと振り返る。

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