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農業経営者ルポ

鍬で耕す男

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第1回 1993年05月01日

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 土の色や湿り気で明日の天気が分かるようになり、本や竹の葉の色を見てカラーチャートに出来るようになった。木の芽や花、あるいは周りの景色を見て今何をするべきかが分かるようになってきたのだ。そうなると、作物を育てることが昔よりずっと簡単になった。そして人がなぜこむずかしい“技術論″に躍起になっているのかと笑えるようにすらなっていったと言う。

 それは彼にとって、自然の摂理を無視した新技術の導入や指導のありようを馬鹿馬鹿しく思えるようになる過程であった。また同時に、己の人生の思い上がりに釘を打たれているのにも気付く過程でもあったという。


誇りと意志が作る経営


 筆者は今回の取材を通して、初めて安原さんにプラウを勧めた。安原さんとの付き合いは以前からのものであったが、その時までプラウが大型トラクターでなければひけないのでは、という彼の誤解を解いていなかった筆者白身を恥じた。一三馬力でひけるプラウもあるのだ。今回の取材にはスガノ農機の人々も参加して、安原さんの仲間にも呼びかけてプラウの実演をした。安原さんを除く参加者たちにとっては、何度目かの「体験教室」であったが、小型トラクターが簡単にプラウをひいていく様子を見て、安原さんは「もっと早く知りたかった」と、つぶやいた。

 しかし、安原さんが理解しているとおり、プラウという機械は手段に過ぎないのだ。ただそれは、ヨーロッパの産業革命以前の農法発展と農機具の歴史についても一家言を持っていた安原さんの言葉をかりれば、「自然の摂理に合った耕うんの歴史」をくぐり抜けてきたものなのである。

 大事なのはプラウではない。肝心なのは、自然の摂理に矛盾しない技術の組み立てであり、それを取り戻すために意地を張って鍬をふるい続けできた彼の「意志」そのものなのである。

 安原さんの「俺は農業生産者なのだ」という「意志」や「誇り」が、自然の摂理に合わない現在の「省力化」を拒否させてきたのだとしたら、むしろ、それは彼にとっての宝ではないか。なぜなら、現代は農業経営者たちのその「誇り」こそが危機にさらされている時代だとも言えるのだから。

 彼がそれを頑固に続けてきたのは、自然の摂理に合った技術で生産された野菜こそが、その野菜本来の昧を持っており、おいしい野菜を生産することによって、自らの生産物に責任をもって値段をつける立場をつくろうとする彼の農業経営者としての「誇り」でもある。いわば、彼の品質管理の思想が、その手段として鍬を選ばせたのだ。

 全く手前勝手なことを申し上げれば、この「農業経営者」と名づけた雑誌の創刊号の経営者ルポとして、嫌がる安原さんにあえてご登場頂いたのも、それゆえなのだ。

 奥さんの敏恵さん(41歳)がネギの苗畑で草取りをしながらポッリと言った。

 「あの人、不器用な人だから……」

 しかし、それは古いドラマにありそうな堪え忍ぶ女の言葉ではない。愛情と信頼から同じ道を歩もうと決意した同志の言葉だと筆者には思えた。

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