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江刺の稲

救世主となった「菌塊」

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第2回 1993年07月01日

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兵庫県赤穂市の錦鯉養殖業者、(有)有田農産を訪ねた。同社は、長兄の有田憲二氏(56歳)を社長に育弐氏、和永氏、暎氏の四人の兄弟で経営されている。応接間の壁一面の表彰状が有田さんの業界での名声を示す。
 兵庫県赤穂市の錦鯉養殖業者、(有)有田農産を訪ねた。同社は、長兄の有田憲二氏(56歳)を社長に育弐氏、和永氏、暎氏の四人の兄弟で経営されている。応接間の壁一面の表彰状が有田さんの業界での名声を示す。

 そこを訪ねたのは、数種の嫌気性細菌を主体にしたゼリー状の菌の塊を池に投入することだけで、長い問苦労してきた養殖経営の根本的矛盾を解決したと伝え聞いていたからである。

 養殖での「連作障害」が解決できたというのだ。障害は三年ないし五年目くらいから出始め、一〇年もすれば文字通り深刻な状態に陥る。水が腐り、赤潮が発生し、池の底からはガスがわくようになる。

 しかし、この「菌塊」を使うようになって以来、七年間一度も水が腐ったり赤潮が発生したことがないというのだ。かつて、液体の光合成細菌というものも使ったが、続かなかった。

 最初の年は条件がたまたま良かったのだと思った。しかし三年間使って一度も水が腐らず赤潮も出ない。さらに、放流数を倍以上に増やしても問題が出ない。

 変化はそれだけではなかった。池の底にたまったドロの性状が変わってしまったのだ。かつてはまさにヘドロ状態で、池の上は鼻が曲がるようなまさにドブの臭いだった。それがサラサラの状態で、臭いは鮎の香りになった。さらに、かつて腰まで水に浸かる超湿田であったのに、耕盤というのではないだろうが、いつの間にか底が落ち着いてきたというのだ。

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