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耕すということ

和犂の発達

初期の和犂


 和犂の発達の歴史を振り返ってみよう。犂は中国から韓国を経て我が国にもたらされたが、これが改良されて一般化するのは明治維新以降である。それまでの在米犂は長床草、短床犂、無床犂が入り乱れてどれ一つとして普遍化していなかった。特定の地域で畜力農法の威力を発揮しているに過ぎなかった。

 当時は、

 農夫工夫器具なければ

 其業を成す能はず

   新渡戸稲造「農業は開明の淵源」

 の雰囲気である。

 人力に依存する限りにおいては限界ありとして、意識改革が行われ、文明開化は農業にもおよんだ。欧米に追い付け、追い越せがスローガンである。いろんな新技術が盛んに導入されたのである。

 さて、北海道は新開地として比較的容易に洋式農法を展開できる素地をもっていたとしても、都府県の場合は、経営規模も異なり、稲作を主体にしているだけにそのまますんなりと受け入れることにはならない。独自に改変しなければならなかった。

 アメリカ農業の歴史は

  ~一八三〇年 畜力低度利用時代

  一八三〇年~一九〇〇年 畜力高度利用時代

  一九〇〇年~ 機械化農業時代

 と言われる。ジョンディアが鋼製プラウを発明するのは一八三七年であるから、近代プラウの発明が畜力高度利用時代の幕開けを示している。明治元年は一八六七年である。畜力機械が円熟期に入っているころである。

 新技術を紹介する側にはそれなりの自負があったであろうし、される側はその新技術に驚嘆したに違いない。そんな中で最小限度の畜力機械化として耕鋤の畜力利用が勧められた。畜力利用は省力化と土地の生産性向上の基本であることからかなり力が入れられた。

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