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耕すということ

和犂の発達

 洋犂の利用は、北海道においても一般化するのは明治の中期一八九〇年ころからである。

 都府県においては極めて限られた範囲にとどまらざるを得ない。しかし、ここが日本人の偉大なところである。洋犂は使用するに能わず、と放棄することはなかったのである。洋犂の技術を和犂の改良に向け、近代短床犂の粋といわれる和犂を完成させるのである。

 現在、和犂というと双用犂、二段耕犂に代表されるが、原型は洋犂と考えてよい。北海道大学農学部にはエドウイン・ダンやクラーク博士が持ち込んだ畜力農機具が数多く保存されている。その中に明らかに改良和犂の原型と見られるものが残されている。

 深耕、反転・鋤込み耕の思想を和犂に組み入れて、小区画圃場にも利用できるようにした技術は見事という他はない。水田の土質にも合う犂体の改良、限られたけん引力に対する工夫などはものまねの域を越えている。

 これは完全に技術の内容を掌握していたことと、近代化に対する執念のたまものであったであろう。巧みに在来犂の長所を融合させていることは、日本人ならではのものと賞賛してよい。ものまねではなく見あう技術を持ち合せていた、それがきっかけで開花したと考えてもよい。

 抱持立犂(無床犂)は深耕できるのが特徴であっても不安定で操作に労力を要するのが難点であった。かといって長床犂には満足できなかったのである。洋犂の高水準技術に驚くと同時に、それが水田には無理と判断すると、在来犂に組み合わせた形に整えてしまうのは、やはり日本人は優秀な国民と考えてよいのではなかろうか。

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