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和犂の発展
都道府県の和犂、北海道の洋犂は競うようにして発展する。日清・日露戦争を通じ世界に伍する馬匹の改良も進み、畜力農機具は一段と進歩するのである。土地生産性、労働生産性が一段と高まって、農業は辛いとするイメージが少しずつ変革されていった。
物事の発展には、いろんなきっかけを必要とするが、大正時代に入って農業技術が進歩すると北海道ではさらに洋式農法を推進しようとする施策がとられる。第一次大戦後テン菜糖業を興こすことになるが、この時にヨーロッパから模範農家を招聘している。
クラボウは北海道の畑に雑草の多いのを見て、
「これは畑ではない雑草地だ」
と言って深耕、反転・鋤込み耕を勧める。テン菜を栽培する関係もあって自らヨーロッパ式犂耕を実践する。火山性土壌の多くは下層土が不良土であることが多い。深耕、反転・鋤込み耕によって雑草は消えたが、土壌改良資材も化学肥料も乏しい時代であってマメ類などの収量が低下し、グラボウならぬベラボウと笑われたりする事態が発生する。
しかし、契約五年後の彼の畑は、雑草も少なく、土壌も順化して各作物の収量も上回ったのである。やっぱりグラボウさんだ、と賞賛され、ここに深耕プラウが見直され、また一段と進歩、飛躍することになる。歩行型プラウは装輪プラウとなり、安定的な深耕を可能にする。
和犂にもさまざまな改良が施されるが、特筆すべきは水田における洋犂同様の作業の安定性である。短床犂が日本において完成したと言われるゆえんはここにある。似たような短床犂は、それ以前にも使われていたものであるが、いずれも安定性を欠くものであったからである。
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村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
耕すということ
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