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経営に女性あり

経営を築く女へと成長させた農業への知的興味

「農家に嫁いで二五年。私、農家に嫁いで最高だよ、という言葉が出るようになったんです。昔は、なんでこんなに一生懸命働かなきやいけないのかって思ってたのに……」茨城県勝田市で、米と麦、乾燥イモ用のカンショを基幹作物に四haの農業を営む飛田知子さん(49歳)は、今、農村に暮らす四〇代、五〇代の女性の生き方を象徴するような存在だ。封建的な家族制度の中で、嫁姑の絶対的な位置関係に揺らぎのなかった姑世代と、自由奔放に自らの価値観を生きる若者世代。この狭間にあって、両者を結ぶ車軸のような役目を果たしているのが、今の四〇代、五〇代。家族の軋みやたわみが一身にかかる、苦労の多い役回りだが、逆に、今の農村女性たちの中で、もっともパワフルであり、輝いて見えるのも、この世代なのだ。
 「農家に嫁いで二五年。私、農家に嫁いで最高だよ、という言葉が出るようになったんです。昔は、なんでこんなに一生懸命働かなきやいけないのかって思ってたのに……」

 茨城県勝田市で、米と麦、乾燥イモ用のカンショを基幹作物に四haの農業を営む飛田知子さん(49歳)は、今、農村に暮らす四〇代、五〇代の女性の生き方を象徴するような存在だ。

 封建的な家族制度の中で、嫁姑の絶対的な位置関係に揺らぎのなかった姑世代と、自由奔放に自らの価値観を生きる若者世代。この狭間にあって、両者を結ぶ車軸のような役目を果たしているのが、今の四〇代、五〇代。家族の軋みやたわみが一身にかかる、苦労の多い役回りだが、逆に、今の農村女性たちの中で、もっともパワフルであり、輝いて見えるのも、この世代なのだ。


“大百姓”の嫁へのあこがれ


 昭和四三年。知子さんは、勝田市の昔でいう“大百姓″、飛田幸夫さんのもとに嫁いだ。舅、姑に小姑二人の大家族。当時の日本は好景気で、農村からは、都市へどんどんと人が流出してゆく時代である。

 「なんで、わざわざ苦労の多い農村に嫁にいくのか。行ってもすぐ戻ってくる」と、知子さんの知人たちは、その選択を計った。農家ですら、農家に娘を嫁にやらなくなっていた時代と、知子さんも記憶している。

 その苦労を承知で嫁いだ。知子さんは東京生まれだが、疎開で幼少時代を常陸太田市で過ごしている。六人兄弟の末っ子。次々と家を出て独立してゆく兄弟たちの中にあって、年老いてゆく両親の姿をもっとも間近に見て育ち、最後まで農業を手伝っていたのが知子さんだった。

 「私、人間的にバカなんでしょうね。同情心が強いというのか、哀れな人がいると何としてでも手伝いたくなるんです」

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