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農業経営者ルポ

「土ができれば可能性が見えてくる」

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第4回 1994年01月01日

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 高松さんはこう解説してくれた。

 「陸稲は、除草がうまくでき、出穂期の土壌水分が確保できれば、こんな手問のかからない作物はない。後は、播種にドリルシーダを使う体系にすれば機械はすべて稲麦のものが使える。作業は水稲と時期かすれるから競合もない。よい値で売れていることを考えても稲麦をやっている人なら経営的に面白い作物のはずだ。プラウを使うことで、有機物も還元できてるし作土層も深くなっている。しかもサブソイラで縦方向の水みちがつけてあれば、水は天水だけで十分。駄目だっていかれるドリル播きも、やりようによってはむしろプラスになるはず。それにネ、耕作放棄されたような畑を元に戻す作物としては陸稲は最適だと思う。試験場ではできなくても、経営者にはできることってたくさんあるでしよ。経験の上に技術の手駒をそろえたら面白かって試してみるのが経営者の仕事だよ」

 高松さんは働き不のいなくなったご近所から原野化した耕作放棄地を畑に戻すことを頼まれていた。また、松も満足に生えない痩せ地の四五aの畑から始まった同氏の営農体験の中から、開墾地でも陸稲なら作れることが記憶に残っていた。

 今や陸稲に真剣に取り組んでいる研究者などはいないのかもしれないが、その中心的試験研究機関になっている茨城県農試に問い合わせると、

 「ドリル播きしてうまくいかないというデータはあるのですが…」と。専門家はそもそも経営的レベルでの陸稲栽培に懐疑的だった。それをあえてやろうと言い出すところに経営者・高松求さんが見えてきて、僕らは無責任に面白がった。


プラウを使えば潅水は必要ないよ……


 お話をうかがって、早速スガノ農機、本誌連載執筆者の関祐二氏、土壌分析を依頼すべく雪印種苗に相談をかけると、みんなが高松さんの経営実験に膝を叩いた。

 仕事は、草ホウボウに荒れた畑の草刈りから始り、同時に土壌診断をした。すると畑として使ってきた場所ではほぼ両六であったが、長く雑草畑になっていた場所では五・六くらいの酸性に傾いており、またばらつきもあった。もともと酸性土壌に向く陸稲であるが、せっかく土壌改良してきた畑については陸稲のために酸性化させるのもおかしなことなので、特にpHの調整は考えなかった。

 雑草畑については、まず開墾のような作業が必要であった。かん木化した雑草を刈り払い、火入れして、その後にサブソイラをかけ、プラウで三〇cmにすき込んだ。

 高松さんのそれまでの認識では陸稲栽培の問題は雑草処理と出穂期の干ばつだった。雑草の対策は友人から除草剤を聞いていたし、中耕除草の技術的価値も見つめてみたい。濯水はしなくても、プラウをかけてあれば問題ないと、予想はつけてある。それは今までプラウを使ってきて、畑の保水性も排水も良くなることを確認してきたからだ。また、深い作土層を作れるとともに有機物還元が容易であり、プラウをかけること自体が草を減らすからだ。

 プラウ耕の段階では、はとんどの雑草は処理できたかにみえた。しかし、播種までの期間が少し長かったために、春先の風で周辺の荒れ地から飛んでくる雑草が発芽した。それを処理するために高松さんは播種までにドライブハローをかけた。しかし、その結果プラウですき込んだ草が地上に顔を出し、どんなにちぎられてもその切れ端から芽を出すしぶとい草もあって、高松さんご夫妻は播種後も僕らの見ていない時にそれを拾うのに手を焼いたようだ。プラウをかけてあることで相当軽減されているはずだが、これも荒れ地化した畑を回復させる時の問題のひとつなのかもしれない。


ドリル播きを可能にする周辺技術


 施肥は、四月一日。成分で窒素四kg。リン酸二・四kg、カリ五kg。肥料は単肥で硫安、過リン酸石灰、硫加を混合した。当日は、茨城大学大学院に中国とインドネシアから勉強に来ている二人の留学生も研修に来ていたので作業を手伝ってもらった。経営者としての高松さんのセンスと同時に、スコップで具合良く肥料を混合する手順のようなことこそ、国に帰ればエリート指導者になる彼らに学んで欲しいと思った。

 播種は、ロータリにセットした三四cm間隔、五条のドリルシーダで行った。

 ドリルシーダでの播種は、今回の陸稲栽培のひとつの条件でもある。現在、普及機関が指導している陸稲栽培は、麦の間作として作っていた時代と同じに六〇cmくらいの広い条問をとり、一五cmくらいの広幅に一〇a当たり二~五kg播くというのが標準だからだ。場合によってはスプリンクラによる濯水も必要とするということになっている。

 高松さんはこれを一〇a当たりの播種量ではそう違わないが、条間三四cmのドリル播きとする分、一条当たりでは薄播きになっている。高松さんがドリル播きを考えるのは、やはりプラウが前提になっている。試験研究機関がドリル播きを危惧するのは、苗立ち率が悪くなることや、雑草との競合、倒伏に対する不安があるからである。これらの問題に対しては、畑での水分確保、草の対策、作土の深さによる根張りを良くすることなどで、ある程度の対応が可能なはずだ。除草剤の使い方、中耕を組み合わせることを含めて考えれば、条開か狭くなることはむしろ陸稲の生育が草を抑制する効果を持つはずだ、と高松さんは考えた。

 播種は、四月一〇日。この播種日程は、同地区の陸稲栽培基準の早限に従ったものであったが、運悪く低温が続き発芽状態は必ずしも良好というわけではなかった。そのため、一部の畑には三週間ぐらい後に追い播きした。播種にあたっては、スズメの害を防ぐため、ベニガラを種子にまぶした。今回の場合、スズメの飛来そのものが少なかったこともあるが、大きな食害は受けなかった。

 天候が不良で、しかも経験がなく播種時期の設定もよく分からなかったために、発芽にはややバラツキが見られた。しかし、後から考えてみれば、それほど厳密でなくともその他の条件がそろえば、そう気にしなくてもよいのではないかと話し合った。

 除草剤は、友人の話を聞いてゴーゴーサンを一回使っただけ。前述のように荒れ地を開墾したために、残った茎から発芽する雑草の処分には苦労したが、その他のものにはよく効き、一般の畑なら問題ないと思われた。あとは、除草剤の効き目がなくなるころにカルチベーダ(除草機)をかけた。

 高松さんは、若いころに陸稲を播いて、草取りのために一生懸命中耕除草をしたことがある。当時の高松さんの畑は先輩の農家と比べて草が多く、そのためにせざるを得なかった中耕除草だった。しかし、その結果、干ばつのその年に新米農家である高松さんだけが取れたという体験をした。中耕除草によって上根を傷めることで作物の根が深く入っていき、作物を強くすることを学んだのだ。手間がかかっても、高松さんはそれが本当の農業のやり方だと考えている。

 中耕除草の方法としては、ティラーアタッチの中耕爪を使ったが、狭い条間に合わせ、株元ギリギリまで処理したいので自分で中耕爪を加工した。また、陸稲に限らぬ簡単なメクラ除草の手段として、レーキを使う方法を教えてくれた。これは、どこでも売っている市販の落葉かき用のレーキである。作用深さを浅くしたい場合には、通常使う方向ではなく裏返して背中の部分で土をなでていくことで具合のよいメクラ除草ができる。

 かつて、高松さんから「草を取るより作をつくれ」と教えていただいたことがある。ドリル播きで条間を小さくした意図の一つもそこにある。作物で草を抑制するのだ。そして狙いは的中した。

 防除は、液剤で畦畔ノズルを使って水稲と同様のモンガレ防除をした。陸稲はモンガレが入ると必ず倒伏する。その対策のためには絶対必要だという。


陸稲を組み込んだ地域農業の可能性


 今回の陸稲づくりも、すべてがうまく進んだわけでもない。例えば、むしろ麦や野菜作の輪作をしながら土壌改良を進めてきた畑で、微量要素欠乏と思われる葉色の生育不良も出た。半面、荒れ地の畑ではやはり草拾いにも悩まされた。

 特に、土を作り続けてきた畑での栽培中期の葉色の悪さには、高松さん自身、笑いながらも悔しそうにされているのが、僕から見ていてもよく分かった。当然pHの調整も進んでいる畑であるわけだが、そのpHが陸稲にとっては微量要素を吸収できない原因になったとも考えられる。それが現実的にどれだけの有効性を持つかどうか分からないが、葉面散布で微量要素入りの肥料を追肥されたりもしたようだ。しかし、収穫間際にお邪魔したころには、栽培中期の葉色の弱々しさを忘れさせるような、少なくとも周辺の畑で慣行栽培体系で作られている陸稲と比べれば、はるかに良いできになっていた。それは高松さんの努力の結果であるのに、僕まで自慢したくなるような、作の回復であった。これは地力なのだろうか、いや、それを含めて、観察力、技術、不調への対策能力など、そのすべてを含めた経営者能力とでもいうべきものなのだろう。

 この他にも、収穫直前に大雨があった。上が極端に軽い女化では、表土が雨によってゆるみ、そのために陸稲が一時倒伏したように見えたが、数日して立ち上がった。

 今年の陸稲のできは、標準より多く取れたとしても、高松さんにとっては決して満足できるものではないようだ。でも、ドリルシーダを使った省力陸稲栽培のめどはたった。今回は急なことだったが、荒れ地を戻すのであれば、最初に緑肥作物などで雑草の勢力を弱め、麦を作ったりしたりするのも有効なのかもしれない、と高松さんはいう。

 陸稲の後、高松さんは大量のワラをプラウですき込み、麦を播いた。つい先だってお邪魔した時には、麦が青々と育っていた。高松さんは、その後、ジャガイモやってみようか。収穫機、雑誌に出ていたものネ、と笑った。

 高松さんは、畑作地帯にいながら稲麦を中心に夫婦二人で無理なくできる経営を目指してきた。そして、自分の稲作機械の償却を早めると同時に、自らの畑に野菜栽培者を呼び込んで、麦あとの畑を使ってもらい、野菜作農家の畑でも麦を作ってもらうという、仲間と組んだ「麦と野菜の交換輪作」をして地域農業を育てる取り組みをしている人だ。さらに今回、陸稲をその中に組み込むことで、荒廃した畑の回復を含めたもう一つの地域農業の可能性を開いたのではないだろうか。

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