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耕すということ

今、なぜボトムプラウか

世界に誇れるプラスチック揆土板の開発


 さて当時のプラウ耕の悩みは、揆上板への土壌のけ着であった。けん引抵抗も大きく、完全反転鋤込み耕も望めないことから、いろんな努力が積み重ねられた。最終的には昭和四〇年に至ってプラスチック揆上板の開発で解決されるに至った。このことは世界的な発明だといえよう。

 なぜなら、犂の発達は反転鋤込み性能の向上にかかり、土の付着との闘いでもあったからだ。木製から木製に石を結いつけ、やがて青銅や鉄の鋳物へと発展し、揆上板に工夫をこらすようになる。耐久性に機能性を加える。

 鋳物のプラウがアメリカに渡り、アメリカの開拓に活躍するが、約一六〇年前にジョンディア社の初代が揆上板に古い鋸板を貼ることを試みる。耐久性が増したことはもちろんのこと、土壌付着がなくなり、狙っていた理想の反転鋤込み耕に成功する。これが近代スティールプラウの始まりである。

 昭和三〇年ごろ、アメリカから導入されたプラウに比較的土壌付着の少ないものがあった。国内でもさっそく同じものの製作を試みたが、土壌付着は解消しなかった。スティールの材質と熱処理技術に彼我の差があったのである。

 格子型ボトムプラウにしてなんとか土壌付着に対応したが、やはり満足できるものではなかった。そんなころ、ある発見があった。当時のプラウはピカピカに磨き上げてユーザーに届けていたが、その際使用するあるサビ止めの塗料が、土壌の付着を少なくすることに気がついたのである。それがヒントになりプラスチックのシートを貼ることから、今日のプラスチック揆上板に形を整えた。これはジョンディアの初代と比肩しうる、世界に誇る画期的発明といえるであろう。

 プラスチック揆上板の利点は、土質を全く選ばないことである。乾いた畑土壌にも、湿った水田土壌にも適応できる。海外の変わった土質においても適応範囲は広い。以前、プラウはその地域の土質を知ったローカルメーカーが製作するものとされていたが、その常識を覆してしまった。難点とされていた耐久性も改善されて、現在広く普及している。


ボトムプラウが傍流でよいのか


 ボトムプラウの普遍化はプラスチック揆上板によってより強固なものになったといってもよいだろう。そのプラスチック揆上板を発明した国で、依然としてロータリティラが主流で、ボトムプラウが傍流であるとしたら、やはり問題である。日本農業の後進的体質を問われても仕方がないだろう。

 ウルグアイラウンドの決着もいよいよ農業情勢の厳しさを予測させるが、国際化に耐え抜くためには何をしなければならないのか。土地資源に恵まれない我が国では、技術で生きるしか道はなく、単位面積当たりの収量増に活路を求めるのがすべてである。

 そんな環境にあって農業の基本であるボトムプラウを理解しないのであっては、何をかいわんやである。改めてボトムプラウの何たるかを見直してみる必要があるだろう。

 明治維新で洋犂が導入された。それが刺激で和犂が改良され、水田犂耕が著しく発達しか。短床犂は日本で完成の域に達したが、あの熱気はどこに行ってしまったのであろう。洋犂(ボトムプラウ)が発達してしまい、もはや和犂の出番はないが、和犂の改良に情熱をかたむけた熱気を現在の水田にぶつけ、現代のボトムプラウを掌中のものにする覇気に期待したい。

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