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農業経営者ルポ

量が多ければ喜ばれる時代はもう終わった

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第5回 1994年03月01日

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 第二に、そもそもマーケッティング感覚がまずゼロに近いともいう。物が良ければ売れるなんて思っている呑気さはあきれるほどだという。「物が良い」なんて、日本の市場社会では当たり前になっていることに気がついてない。

 第三に、デザイン感覚がない。「泥臭い」ことと「素朴さ」とを一緒にしている。現代の都市の消費者は素朴なのは好きでも泥臭いのは大嫌いだ。

 それに、量が多いことも産直の問題の一つだと、兵藤さんはいう。兵藤さんの栗は、五kg詰めから一kg詰めまでの箱があるが、送り先の家族構成を聞いては、お客になるべく一kg詰めを注文させるために説得をすることが多いそうだ。それが、嗜好品であり、鮮度も落ちやすい栗を、口だけでなく目でもおいしく食べていただける量だからと説明する。

 多くの産直商品は、量目を多くして割安感を出そうとするが、その多くは腐らせて捨てられてしまう。それだけ運賃をかけさせて、都会の人にとっては、それが場所ふさぎであることも、捨てる手間までかけていることも考えようとはしない。人が腹を空かしていた時代の感覚のまま、量が多ければありがたがられると、相変わらず思っている。しかも、鮮度の良い段階での印象より、残ってしなびて始末に困ったイメージが、お客さんには残ってしまうのだと兵藤さんは忠告する。

 兵藤さんにいわせると、「商品」を売るとき、考えなければならないことの肝心な部分を、全部無視しているというのだ。

 「三月頃になると、いろんな町の担当者が相談にくる。自分の町の産品を持って『売れない』ってネ。でも、そういう人というのは、自分の周りのことは見ていても、実際に商品を買ってくれるお客のことにはまったく注意を払っていない。商品を開発をしたいと思うなら、原料生産の問題をクリアしたうえで、消費の動向、それも消費者が求めている感性をつかめる情報を手に入れなくては…。一つのたとえだけども、この人たち農業新聞しか読んでないんだナ、って思うんです。日経流通新聞でも読んでいたら、なぜそれが売れないかは分かるはずですよ」と笑う。

 「そんな時、加工をやるなら、生食で最高のものを売ってみてからですよ」と、必ず言うことにしているそうだ。

 生は農業や青果市場の範躊だけど、加工品の世界というのは、もう呑気な農業の世界ではない。余程の覚悟をしてかからないと、競争相手と同じ舞台に上がる前に跳ね返されてしまう。

 だけど反対に。農業の側というのは生産現場を目の前にして商品開発ができる。そこに可能性が見いだせないか、と兵藤さんは農業の現場にいる強さについても語る。

 「うちの栗は、坪一億円もするような銀座に店を構えた千疋屋よりも高い値段で売っている。逆に。これは産直だからできること。そして、自分で作っているから、仕入れた栗ではできない品質の渋皮煮だとか栗ジャムが作れるのだとも思う。贈答品の業界では、三越が一応格が高いということになっているのだけど、三越のお客さんが、三越の商品と較べて四万騎農園の三〇〇〇円なり五〇〇〇円なりの栗を選んでくれたら、その分だけ三越は降ろされたわけだ。そんなものがあちこちから出てきたら、三越だって潰れちゃう。彼らだって暖簾なんかにあぐらかいてられる時代じゃないんですよ。それが現実になりつつある。この草深いところにいる百姓が、俺の商売敵は三越だなんて言えるようになっちゃうんだから。面白い時代ですよ」と。

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