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特集

コントラクター=農作業サービスビジネスの現状と可能性

農作業サービスビジネスヘの社会的要請

 本誌読者にとっては、蛇足というべきかもしれないが、あえてお断りしたい。

 我われは、このテーマを取り上げるにあたり「農家の高齢化や兼業化の進行、あるいは新規就業者の減少が深刻化して ……」などという、農業問題を語る人びとの常とう句として用いる枕言葉を使いたくない。

 はっきり言ってしまえば、そんな嘆息はどうでもよいのだ。彼らが嘆息する農業環境なるものは、逆に農作業サービスビジネスが成立する上での望ましい市場条件であるにすぎない。むしろ、それをチャンスとみなし、建て前の言葉に流されぬ主体性をもち、人びとの心のひだを読み取り、その変化を冷静に見つめることのできる、村に生きるコントラクター経営者の自由な活動と彼ら業者間の健全な競争こそが、「結果」として農業を守り育てる手立てとなり得ると思うからだ。

 もちろん、とりたてて「ビジネス」などという言葉を使わずともよい。それがご近所の「頼まれ仕事」の延長であるにせよ同じである。地方によって古くからある、モミすり・精米業者など古くから同様な仕事はあったが、今後、農業を構成する重要な一業種としてコントラクターの役割は大きくなるはずである。

 さて、今後の農村でのコントラクターの可能性を考えてみよう。

 考えてみていただきたい。地域による違いもあるが、行政や農業関係者、あるいは誤解したジャーナリストたちが語ることとは裏腹に、あなたの周辺にいる農家のうち、はたしてどれだけの人びとが本当に「農業を続けたい」と考えているだろうか。「辞められるものなら辞めたい」というのが多くの人びとの本音であろう。

 すでにかなり以前から、「機械化兼業」という農家のライフスタイルは、必ずしも割りの合うものではなくなってきた。もっとも人は、必ずしも経済の合理性にだけ従って行動するものでもない。兼業農家層においては、「世間の目」や人間関係のわずらわしさがいやで、損を承知で農業機械を買い続けた。

 同時に、多くの農家が今まで農業を辞められないできたのは、多くは経済的理由というより、農業をやめることについての「世間の目」が気になり続けてきたからではないのか。「あの家は彼の代で農業をやめた」と言われることへの抵抗があったからだ。

 そして、米の自由化である。

 いってみれば、この「おすみつき」を得たことによって、彼らには農業をやめることへの後ろめたさがなくなった。昨年の不作で、あわてて乾燥機を買い、小さな闇米販売に喜んでいる人もないわけではないが、彼らもやがて無駄な買い物たったことに気づく。それでも彼らは、米の収入や税金を払うための地代収入に今後とも期待する。人に頼めば、手元に残るお金が多くなることは、もう知っているのだから。

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