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特集

コントラクター=農作業サービスビジネスの現状と可能性

作業の多様化と質の追求

 以上の二者に共通するのは、業務内容の多角化とともに作業の多様化、そしてその「質」の向上に気を遣っていることである。

 もともとは北海道の水田地帯だが、現在では、麦、ビート、酪農とさまざまな顧客層がある加藤リースの場合、リース用の機械を含め、地域農業で使うものであれば、ないものはないというほどの装備をしている。また、十分な機械装備をしていることが、顧客に適期作業に応えられるという安心を与えられるという。

 また、ファーミングスタッフの場合も、一昨年、ゴムクローラのトラクタを導入することで、積雪地であり、なおかつ湿田地帯であっても、雪上心破や畦塗り作業などにより作業可能な期間が広がるとともに、作業効率も向上したという。


事業者の誇りとしての自主作業料金設定

 作業料金については、それぞれの経営によってさまざまな考え方がある。また、地域による事情も反映している。

 ファーミングスタッフのように、一〇aを一〇分もかからずに耕うんしてしまうというクローラトラクタを導入することで、作業能率が大幅に上げられ、現在、地区の農業委員会等で決めた料金より安く設定しているケースもあれば、経営の形は違うが、栃木の中島氏のように作業にこだわり、畦塗り機で一〇〇m当たり一万円で請け負っているという例もある。

 どちらのケースも、作業の「質」にこだわり、さらに設定した料金の高低ではなく、自らで作業料金を定め、顧客にそれを納得させていくという態度を明確にもっている。

 自らの作業単価に根拠を持ち、しかも競争者との競合のなかで顧客との信頼と合意を作っていく経営態度と営業努力こそが、今後のコントラクターの発展をより確かなものにしていくのではないか。

 農業の機械化について、いわゆる識者たちが語ってきたこと、行政や農協が計画してきたことは、ことごとく外れてきたと言ってもよいのではないか。限られた例外はあるものの、共同利用組織、機械銀行、農協による機械サービス、行政や農協主導の受委託組織など、鳴り物入りで始まった事業が立ち消えしていった例をあげれば切りがなかろう。

 また、昭和四〇年代に稲作の機械化が進行していった時代、多くの識者たち、そして行政や農協は、農家の機械購入を「過剰投資」といい「機械化貧乏」とジャーナリスティックな言葉で農業機械業界をやり玉にあげ、それは結果として農民を「愚かなる者」とみなし、彼らを善導しようという傲慢さを自らさらけ出す論理を展開していた。そして、あい変わらず人びとが損得の感情で行動することの結果として、最も経済的で無駄のない安定状態がもたらされるという、あたりまえの原理を彼らは認めようとせず、農業の官僚支配を貫徹させようとしている。

 計画や管理や指導や補助か必要ないというのではない。また、時として混乱があったり、行儀の悪い人もいるかもしれない。それでも、結局は行政担当者と名誉職についた人びとの自己満足にすぎぬ「正義の計画」より、はるかによい結果をもたらすのは、もう歴史が証明しているといってもよいのではないか。

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