記事閲覧
【耕すということ】
心土破砕はなぜ必要か
- 農学博士 村井信仁
- 第5回 1994年03月01日
- この記事をPDFで読む
現代において自然と共存すること
自然と共存することが人間の生きる道であるとされるが、ややもすると人間のおごりでこれを忘れてしまい、問題を引き起こしていることがある。早い話が、技術ですべてカバーできるとする思い上がりがいつの間にか地力を減退させ、取り返しがつかなくなっていることである。
化学肥料や農薬の開発は、著しく生産性を高めたが、それのみに頼るとやがてそれらがマイナスに働いてしまうことに気がつく。例えば、塩類の集積が問題になっていたり、農薬に対する抵抗性の強い病害虫が出現して手を焼かされていることなどである。これらはもはや見過すことができないまでに至っている。
化学合成物質が発明され、その効用には見るべきものがあるとしても、それに依存しすぎることはやはり問題なのである。生物は自然界の中にあるとすれば、自然と共存する形においてそれらが使われなければならない。継続は力なりと言われるように持続的農業を営むこと、それが実力である。共存しようとする姿勢が、ある時期生産性を低下させるとしても、それは長い目で見れば決してマイナスではなく、結局はそのことによって生産の安定がもたらされるであろう。
化学合成物質に限らず機械についても同じことが言える。機械の発達は、土地や労働の生産性を飛躍的に向上させたが、決してよいことばかりではなく、弊害もまた同時にもたらしているのである。例えば、機械の走行による踏圧は土壌を硬化させ、不透水層を形成し、排水不良をもたらしている。畑作において以前には多少の降水があっても、水蝕などなかったものが、ちょっとした降水でも作上が流失することなどは排水不良によるものであり、よく聞く例である。
農業は環境に調和し、環境を保全するものと豪語するのであれば、機械化によってもたらされる弊害をどのようにして排除するかも常に考えられていなければならない。物事には必ず理屈があり、それを覆すことなどできないものである。理屈を新技術に訴えて、近代的に処理するのが進歩と言うものである。時代が、あるいは技術が変わっても原理・原則をわきまえることが大切であろう。
会員の方はここからログイン
村井信仁
農学博士
1932年福島県生まれ。55年帯広畜産大学卒。山田トンボ農機(株)、北農機(株)を経て、67年道立中央農業試験場農業機械科長、71年道立十勝農業試験場農業機械科長、85年道立中央農業試験場農業機械部長。89年(社)北海道農業機械工業会専務理事、2000年退任。現在、村井農場経営。著書に『耕うん機械と土作りの科学』など。
耕すということ
ランキング
WHAT'S NEW
- 有料会員申し込み受付終了のお知らせ
- (2024/03/05)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2023/07/26)
- 年末年始休業のお知らせ
- (2022/12/23)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2022/07/28)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2021/08/10)
