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経営に女性あり

実務派秘書に徹する

“ラン(蘭)屋”という商売、外目にはちょっと分かりにくい。どんな栽培をして、それをどう販売し、生活しているのか。そして、そこに働く妻たちは、どんな役割を担っているのか。今回登場いただいた森田洋蘭園は、埼玉県の川越市でカトレヤとコチョウランの生産、苗の育種と販売を行っている農家だ。農家といっても、常時一三人を雇用し、年商は億単位の有限会社。社長の森田康雄さん(42歳)は二三年前、たった一人で、この洋ラン栽培を始めた。妻の幸子さん(40歳)は、いまその片腕として労務管理のいっさいを引き受けている。
最高峰を好きなことでめざす


 康雄 僕はもともと農家の長男だったけれど、家は米とイチゴを作ってた。あとを継ぐ時に、将来どんなものを選択するか、農業高校の友だちと真剣に考えましたよ。だって、減反が始まったころで、米じゃ食えない時代に入ってましたから。それで、当時は施設野菜の全盛期だったけれど、どうせやるなら好きなことをやりたい、もともと花が好きだったんです。

 それで、鉢ものやシクラメン、サクラソウなどいろいろ考えたけど、花は流行の移り変わりがあって、「どんな作」かで当たり外れが決まる。ランは周期が長くて、周年作れるし、花の中では最高峰。初めから最高峰を目ざせば、あとはゆるぎないだろうと思ったんですよ。ちょうど高度経済成長期で、高級品指向もあったし。

 それに、ここぼ東京に近い。ランの中でもあえて、輸送性のないカトレヤとコチョウランを選んだんです。

 埼玉県はラン栽培の歴史が古い。康雄さんは高校を卒業すると、鴻巣市で戦後すぐにラン栽培を始めだという農家に研修に行った。高校時代、アルバイトで貯めたお金でランの親株を買い、その株を持って居候。研修中に種をつけてしまおうという思惑で、研修先の農家からは「おまえみたいに図々しい奴は初めてだ」とあきれられたエピソードも。

 康雄 時は金なり。研修先には二年いろと言われたけれど、ランの栽培は時間がかかるから、早く商売したいからって一年でサ。さと切り上げちゃったんですよ。

 当時、ランの花なんて、この周辺の花屋では見られない。親たちも見たことがない。反対されたけれど、近代化資金を借りて、三五坪のハウス一棟から始めました。

 幸子 いまじや安くても一ケタは違う金額がかかるわね。

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