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日本人ただひとりのラベンダー・ナイト
北の小さな村でひとり「夢づくり」の仕事にのめり込む富田さん。その夢は広がれば広がるほど、困難も大きくなった。ラベンダーの栽培当初から、富良野で作る香水を夢見ていた。それへの富田さんの挑戦がいよいよ始まった。
香水を作るための化粧品製造業の認可を取るために認可申請を繰り返したが、らちが開かない。しびれを切らした富田さんは、東京のメーカーに依託生産する形で、昭和五五年、自分のブランドの香水「フロム」を発売する。富田ファームにしかない香水は人びとの注目を引いた。
しかし、東京から訪ねてくれた人から、ボトルに印刷された東京の住所を読んで、
「裏切られた」
という手紙をもらった。事情はどうであれ、富田さんは恥じた。
富田さんの香水作りへの努力は再度開始された。横路北海道知事へその意義を書き添えて直訴する形で手紙を書いた。その反応はすぐに戻ってきて、化粧品製造業免許の目途がたった。しかし、製造のための設備もなく、そのノウハウもなかった。すでにサイは投げられていた。依託生産を頼んだメーカーに教えを乞うても、相手にされないどころか、あからさまに拒否の姿勢を示された。八方ふさがりの中で相談したのは、熊井監督夫妻だった。
「そんな分からず屋の日本人を相手にしていないでフランスに行きなさい」
熊井監督から思いもよらぬことをアッサリと言われた。現地での通訳から訪ねるべきメーカーまで、熊井夫妻、曽田香料の人たちの計らいで段取りされていた。
すでに製造許可が通り、当時の富田さんからすれば大変な借金をして製造設備の発注はすんでいた。あとは、ノウハウの獲得である。富田さんにとっては悲壮な思いでの旅立ちであった。そんな富田さんを気づかって、熊井監督はどんな格好で旅立つのかを心配して聞いてきた。
富田さんが、地べたをはいつくばってもやり抜けるように、作業着を着て野宿もできるようにリュックサックにあらゆる荷物を詰めて行きますと答えると、熊井監督は、
「バカモン。君はどこに何をしに行くのだ。そんな日本人だけのナニワブシ語りみたいなことで、香水メーカーが相手にしてくれると思うか? フランスなら乞食だってネクタイをしているよ。何国人であれ人間関係の基本はマナーだヨ」
と諭された。
それは単に、フランスへ旅立つ人への忠告というより、これから富田さんがする「夢づくリ」の仕事を成功させるために、額に汗して土に向かう農民という立場――それは素朴で温かみのある存在ではあるが――からの脱皮が必要であることを、熊井監督は伝えたかったのではないだろうか。あるいは、「農民」が「経営者」になる一つの条件をいいたかったのではないか。
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昆吉則 コンキチノリ
『農業経営者』編集長
農業技術通信社 代表取締役社長
1949年神奈川県生まれ。1984年農業全般をテーマとする編集プロダクション「農業技術通信社」を創業。1993年『農業経営者』創刊。「農業は食べる人のためにある」という理念のもと、農産物のエンドユーザー=消費者のためになる農業技術・商品・経営の情報を発信している。2006年より内閣府規制改革会議農業専門委員。
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