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農業経営者ルポ

思いつづけることを止めれば、可能性もなくなる

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第7回 1994年09月01日

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 渡仏前の心配はまったくの杞憂であった。そんな人びとの導きがあったこと、それ以上にはるか海を隔てた国で志を同じくする人たちは富田さんを快く迎えてくれた。フランスの香料メーカー、シャラボー社での研修とともに、その研究所に調香師の勉強に米ていた小野上廣氏との出会いは、その旅の何よりもの成果だった。

 そして、昭和五八年、原料の栽培から製造に至るまですべて自らの手で生み出したファーム富田初の香水「FURANO」が誕生する。

 初めての渡仏以来、富田さんには第二の故郷のようになったフランスの仲間たちとの交流は続いている。そして、平成二年には同地でラベンダー功労者に贈られる「ラベンダーナイト」(オー・ド・プロバンス・ラベンダー修道貴士)の称号を日本人として初めて与えられる。

 その時の富田さんは、きっと初めてラベンダーに出合った時の感動を思い起こしたはずだ。四〇年以上を経て、あの時の青年が、世界のラベンダーの仲間たちから、そのラベンダーに思いを寄せた人生に祝福を与えられたのだから。

 富田さんは、

 「自分の人生は、その時々の人との出会い、励まされ、あるいは人に拾われながら歩いてきた道だった。僕にラベンダーの花言葉を選ばせるなら、それは『感謝』以外にはない」

 と話される。

 しかし、富田さんの歩んできた道は、話すほどにたやすいことであるわけがない。マスコミにもてはやされたことで成功するというケースは、むしろ少ないのではないか。世の中そんなに甘くはない。

 すべての仕事は努力の結果であろう。富田さんのさまざまな「出会い」や好運というべき偶然はただ単なる「運」なのだろうか。僕にはそれが、単なる偶然を越えた富田さん自身の「出会いの能力」のようなものであるような気がする。むしろ富田さんの「思い」や「意志」こそが「出会い」や「偶然」を導いたといったら言い過ぎであろうか。

 富田さんはすでに成功者といってよい人である。でも、富田さんは、お金持ちになりたいと思ったわけでも、大きな農場を夢見たわけでもない。ただ、それは「ラベンダーへの憧れ」だった。

 富田さんは、こう言った。

 「少なくとも、思い続けることをやめたら、可能性もなくなるのですよ」

昆 吉則

プロフィール
冨田忠雄さん(63歳)
北海道空知郡中富良野町北星 TEL.0167-4-2279
若き日に出合ったラベンダーへの思いを貫き、年間50万人を超す観光客を迎える花の観光農園「ファーム富田」経営。同園の入場は無料。170種類以上のオリジナル・グッズの販売で、年間売上4億円。社員数14名。1990年、オード・プロパンス・ラベンダー修道騎士の称号を受ける。同年、北海道新聞文化賞受賞。著書に『わたしのラベンダー物語』(1993年・誠文堂新光社・1990円)がある。

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