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新・農業経営者ルポ

人々の支えがあって実現した新規就農、でも・・・・・・


夫婦である以上に同志

 一方、美穂子の場合は大学校在学中から敏夫に誘われて農業を始めていた。周囲は反対とはいわないが、大賛成というわけでもなかった。ましてや、結婚もしないで敏夫の家に同居するという。両方の家族にも強い反対はなかったようだが、親の思いは複雑だったのではないか。

 それにもかかわらず、二人がそれを選んだのは、彼らの世俗を超えた素直さがあるからなのだろう。

 敏夫が卒業して数カ月後、美穂子が大学校の2年目の夏に、敏夫に誘われて児玉町での二人の新規就農チャレンジを始める。

 二人に聞いてみた。敏夫が美穂子を誘ったのは「プロポーズだったのか?」と。すると、二人は異口同音にそうではないと言う。

 敏夫はすでに会社を辞め、6月から農家見習いを始めていた。農家になるには地域に受け入れられなければならない。大学校の実習で、二人の中にある同じ波長を意識していたのかもしれない。敏夫は美穂子に大学校を休んで、農協の野菜育苗センターの手伝いに行けよと言った。また、休みは休みで敏夫の作業を手伝った。こう書くと、敏夫の支配力で美穂子を振り回しているこのごとく聞こえるかもしれないが、それは違う。男と女の好き嫌いなどという前に、同じ農業に生きる道を見つけ出そうとしている二人が、それが農家になるための研修だと思っただけだ。農業をやりたい二人の都合が一致したのだ。一人でやるより二人でやるほうが地元の手伝いがよくできる。婚姻届を出したのはその3~4年後だ。彼らは夫婦である前にパートナーであり同志なのである。夫婦だから一緒にやっている農業ではない。そんな二人や敏夫の両親を中傷する人もかつてはいた。でも、多くの農家がそうであるように夫婦で傷をなめあうのではなく励ましあえる間柄。そんな二人であるからこそ今があるのだろう。

 保育園から戻ってきた二人の長男・啓太(6歳)は、筆者の取材中も畑や作業場で遊んでいる。農家の子供が農業や畑には見向きもしないというケースはよくあるが、非農家出身の二人であればこそ、啓太は農家の子供として育つのではないだろうか。


つぶつぶ(粒粒)農園・和菜

 美穂子は敏夫を「社長」と呼び、敏夫は美穂子を「美穂子さん」と呼びかける。さらに、同農場の研修生である菅野亜希(28歳)も立場は研修生であるが、二人にとっては同志である。彼ら以外に、敏夫の両親・伊佐男(56歳)と文子(57歳)も役場を早期退職して彼らを手伝っている。最初は敏夫が中心になってやっていた農地を借りる交渉も、父親に任せているという。農家ではないが、長く同地にすむ年配者の伊佐男のほうが話が進みやすいからだ。

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