ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

新・農業経営者ルポ

「地域に元気、社員に笑顔、社会に緑の風を……」

父親から引き継いだ養豚事業を縮小し、新時代の農業経営を目指すために7年前に設立された有限会社親和。設立から4年後、特定農業法人の認定を受けた。現在、農用地の引き受け先は120人。地域の農村で高齢化が進む中、集落営農の担い手として活躍する北村進一は、アルバイトにやってくる地元の中学・高校生からも頼りにされ、人手不足とも無縁な農業経営を展開している。
 敬老の日を中心に5連休となった9月のシルバーウィークを目前に控えた小雨の午後。琵琶湖の湖畔に広がる水田地帯を訪れた。滋賀県の北東部に位置する米原市・世継(よつぎ)集落。ここは、豊臣秀吉ゆかりの地で有名な長浜の食料供給地としてその役割を担ってきた地域である。

 滋賀県の集落営農数は825を数え、全国第1位で全国平均の約3倍に当たる(集落営農実態調査2009年2月1日)。これは、急速に進む高齢社会の中で、農村の担い手不足に悩みながら、常に前進してきた農業経営者の歴史を物語っているとも言える。かつて本誌では集落営農の矛盾点を指摘して批判してきた。しかし本稿では、農村の現場で翻弄されながらも、新たな挑戦を始めた農業経営者を紹介したい。


若者を引き寄せる農業経営者

 集落営農の担い手として活躍している北村進一(57歳)が経営する(有)親和には、現在10名の社員がいる。同社の事務所で、まず筆者を出迎えてくれたのは20代の若い社員たちだった。創刊したばかりの「Agrizm」を手渡すと、食い入るように読み始めた土川恭太(28歳)は入社2年目。話を聞くと、彼は高校生時代にアルバイトをして以来、北村とは10年間の付き合いだという。大学進学後もアルバイトを続け、卒業後2年間一般企業の会社員を経験した後、古巣に戻るように同社に入社した。

 「高校生当時、僕は野球部に在籍していて、夏の大会後に初めてアルバイトを体験しました。まるでクラブ活動の延長線のようでした。ぼけーと突っ立っていると厳しく叱られましたが、仕事で失敗してもおっちゃんはけっして怒りませんでした」

アルバイトの高校生たちは、北村のことを親しみを込めて“おっちゃん”と呼ぶ。おっちゃんが怒るときの口癖は今でも変わらない。
 「働くという字の意味を考えろ。人が動くと書くんや」

 彼らはお金をもらって仕事をすることの意味を知り、農業を楽しむことを学び、やがて自主的に仕事のローテーションを作るようになった。仕事が終わった後も、恋愛相談や人生相談が夜遅くまで続き、冬にはスキー旅行にも連れ出されたという。

 北村に引き寄せられる若者は、今も後を絶たない。今年の夏に新たに入社した西川真司(28歳)は、異業種からの転職組み。出身地も遠く離れた千葉県だ。彼は会社説明会の会場で北村の話を聞いて、入社を即決した。会場で感動のあまり拍手してしまったというから驚きだ。この若者の心を捉えたのは「ありがとうの反対語は何だ?」という問いかけだった。ぽかんと口を開けた西川にたたみかけるように説いて聞かせた言葉は、まるで禅問答のような内容だった。

 「ありがとうの反対語は“あたりまえ”や。多くの人は心臓が動いとることをあたりまえだと思っとるけど、生きていることの感謝を忘れたらあかん。人は何かに活かされとる。とくに自然相手の農業は、あたりまえのことに感謝する気持ちが大切なんや」

関連記事

powered by weblio