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【土門「辛」聞】
チーム赤松「農家戸別所得補償制度」に向けて出発ゴー
- 土門剛
- 第63回 2009年10月01日
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赤松農水相を支える山田雅彦副大臣の人物像
もう10年も前のことだろうか、実に奇妙な体験をしたことがある。今度、農水副大臣に就任された山田正彦先生と、当時、通産省(現経産省)の事務次官だった広瀬勝貞氏夫妻を誘って、真夏に和歌山・熊野の山中の山荘に遊びに行ったことがある。
実に不思議に思ったのは、出発前に、山田先生には「通産次官の広瀬さん夫妻にも声をかけておきましたよ」と言い、広瀬氏にも「新進党の山田正彦先生もご一緒ですよ」と話していたのに、同じ屋根の下で過ごした3日間、ご両人は最初に挨拶しただけで、一切と言っていいほど会話を交わさなかった。
今振り返ってみても、朝起きても、2人が朝の挨拶を交わすこともなく、夜に天然鰻のバーベキューをした時も、双方、距離を置いて陣取り、お互いに知らんぷりという実に奇妙な状況しか思い出さないのである。
その旅から戻ってきて山田先生が、「広瀬は、一言も話しかけてこなかったな」とポツッと話してこられたことがあった。
山田先生は、政界に入られて以降、小沢一郎氏と行動を共にしてこられた。一方の広瀬氏は、大分・日田市の出身で、通産時代には、宮澤喜一首相の総理秘書官も務められたことがある。ある意味で、霞が関官僚としても保守本流中の本流に位置しておられ、自民党をぶっ壊す、霞が関をぶっ壊すと公言して憚らない小沢一郎氏の子分格でいる山田正彦先生は、広瀬氏には「敵」と映って、あえてシカトしたのかもしれない。
その山田先生が、農水副大臣に就任された。そのニュースを耳にして、思わず奇妙な熊野山中の出来事をふっと思い出したのである。まずは、副大臣就任のお祝いを申し上げたい。
山田先生は。実にチャーミングな方である。彼の人となりは、ホームページに、「風変わりといわれています私の人生」というタイトルで紹介されている。こんな一節がある。
「五島列島の福江島に生まれ育ち、苦学しながら早稲田大学卒業し司法試験合格後に、五島で牧場を経営。牛400頭を飼育、豚年間8000頭を出荷するも、価格を生産者が決められないことに憤り、長崎市内に肉屋を6店舗出店、はては県庁前で牛丼屋を開くまでに」
風変わりなのは、司法試験に合格しても、判事や検事に任官することもなければ、弁護士にもならず、故郷・五島に戻り牧場の経営を始められたことだ。確か、オイルショックで、餌の値段が倍、牛の値段が半値になり、牧場の経営にずいぶんとご苦労されたと聞いたことがあった。
すごく風変わりな人だなと思ったのは、その奇妙な体験をする前に、熊野の山中に初めて訪れた時のことだった。確か5月の連休のことであったが、山中を歩いていると、突然、真っ裸になり渓流にドブンと飛び込まれた。水ぬるむ春といっても、たいていの人なら、躊躇するぐらいの水温で、それでも30分ほど泳いでおられた。我々凡人と皮膚感覚が違うのか、それとも鍛え方が違うのか、とにかく常人ではないと思った。
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土門剛 ドモンタケシ
1947年大阪市生まれ。早稲田大学大学院法学研究科中退。農業や農協問題について規制緩和と国際化の視点からの論文を多数執筆している。主な著書に、『農協が倒産する日』(東洋経済新報社)、『農協大破産』(東洋経済新報社)、『よい農協―“自由化後”に生き残る戦略』(日本経済新聞社)、『コメと農協―「農業ビッグバン」が始まった』(日本経済新聞社)、『コメ開放決断の日―徹底検証 食管・農協・新政策』(日本経済新聞社)、『穀物メジャー』(共著/家の光協会)、『東京をどうする、日本をどうする』(通産省八幡和男氏と共著/講談社)、『新食糧法で日本のお米はこう変わる』(東洋経済新報社)などがある。大阪府米穀小売商業組合、「明日の米穀店を考える研究会」各委員を歴任。会員制のFAX情報誌も発行している。
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