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江刺の稲

規模拡大を望むなら深く耕せ

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第7回 1994年09月01日

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前号のこの欄で「不耕起」を取り上げたら、話題のヒントをいただいた茨城県牛久市の高松求さんから、「省力、低コスト化のための不耕起だと言うなら、机上で考えるような見当違いの『省力=低コスト論』に惑わされてはだめですよ。経営にとって『避けられぬ仕事』と『無駄な汗』というものがあるんです。その区別のつかない『省力』は、結果的に損をする『省略』に過ぎなくなる。そもそも雪の降らない地域で、収穫後の耕うんというのは、手間不足を悩むほど日をせく仕事なのだろうか?『耕すこと』の損得勘定はその仕事をした後で考えれば分かることのはず」と聞かされた。
「避けられぬ仕事」と「無駄な汗」


 前号のこの欄で「不耕起」を取り上げたら、話題のヒントをいただいた茨城県牛久市の高松求さんから、

 「省力、低コスト化のための不耕起だと言うなら、机上で考えるような見当違いの『省力=低コスト論』に惑わされてはだめですよ。経営にとって『避けられぬ仕事』と『無駄な汗』というものがあるんです。その区別のつかない『省力』は、結果的に損をする『省略』に過ぎなくなる。そもそも雪の降らない地域で、収穫後の耕うんというのは、手間不足を悩むほど日をせく仕事なのだろうか?『耕すこと』の損得勘定はその仕事をした後で考えれば分かることのはず」

 と聞かされた。

 農業の仕事は自然が対象の作業である。どんなに技術が進んだといっても、自然の流れ、その都合に合わせて師事をしているのである。春から秋にかけて自然の変化や作物の生長は勢いづき人にその手を休める余裕を与えない。半面、冬の間、変化は緩慢であり、人に休息と夏への準備の時間を与えてくれるのである。人が働く時間は同じでも、夏と冬ではその「一時間の意味」が違うのだ。言葉を変えて言えば「労働する」という意昧では同じ一時間でも、「経営する」という立場から考えれば、違った視点でとらえられないかということだ。

 「夏に一時間分の作業をしないですむのであれば、仮に冬の間に数日の手間がかかったとしても得をしたと考えるのが、経営者としての見方なのではないか。農家にとって夏は戦場。そこで鉄砲の掃除をしてたのでは間に合わないのです。夏に仕事に追われるかいなかは、暇な冬の間に夏の仕事が少なくなるよう手が打ってあるかどうかで決まる。『冬に働ける者』が勝者なんですよ」

 と高松さんは話す。

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