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武田邦太郎氏

「殿」「操り人形」「豹変する」あるいは「未明の記者発表」などと耶楡されて、最後は金銭スキャンダルで政権の座を追われた細川護煕氏と日本新党であるが、細川政権はそれまでの政権が問題解決を先送りにすることで政治的責任を回避してきた懸案事項を案外あっさりと通してしまった。
 「殿」「操り人形」「豹変する」あるいは「未明の記者発表」などと耶楡されて、最後は金銭スキャンダルで政権の座を追われた細川護煕氏と日本新党であるが、細川政権はそれまでの政権が問題解決を先送りにすることで政治的責任を回避してきた懸案事項を案外あっさりと通してしまった。そしていわゆる五五年体制といわれる政治の構造と戦後日本人の精神風土に何らかの風穴を開けたことは間違いない。

 その日本新党が花々しく発足して、参議院議員選挙の比例代表区の名簿に武田邦太郎氏の名前を見たとき「なぜ武田氏が政治家に?」というのが僕の正直な感想だった。そして、大衆的には無名でも、改革派農水省官僚や政治家の間に評価の高かった武田氏を新党発足に当たって起用した細川氏を「ヤルナー」と思ったものだった。それでも、いかにも政治家ではない武田氏が、なぜと思ってきた。

 武田氏は、昭和一〇年に東京帝国大学文学部を卒業、鐘紡農林部に入社、中国での大農場建設・経営に参加し、戦後は同社を退社し山形県鳥海山麓の西山開拓地に入植、開拓農協長になる。その後、池田内閣時代以来、その希有の実践経験と政治哲学を見込まれ、乞われて自民党の農政顧問的役割を果たしてきた在野の農政学者である。そして昭和三五年以来、第二次・三次産業と伍して国際競争力を持ち得る高生産性農業実現を信じる農業経営者自身による研究組織「武田新農政研究会」を主催し、農業者自身による現状認識と、農業の技術革新や農業経営者の能力が発揮できる農業生産基盤の確立に向けての地域活動を発展させるべく啓蒙活動を続けてきた人である。

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