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一雄はこのハクサイの契約栽培に取り組んだ。結果は予想以上だった。ハクサイといえば白いものと思われていた当時、黄色くて見た目も味もよいハクサイの登場は、浅漬けブームに拍車をかけ、種苗メーカーが黄芯系ハクサイの品種改良をするきっかけにもなった。
そんな父の商売のやり方を、息子は幼少の頃から目にして育った。
「小遣いをもらって仕事の手伝いはよくしましたね。将来は仕事を継ぐんだなと無意識のうちに刷り込まれていた気がします」
高校を卒業した岩瀬は、東京のたくわん屋へ2年ほど「丁稚奉公」に出された。時はバブル全盛の1980年代半ば。漬物が元気な時代でもあった。
「あの頃、商売をやっている跡継ぎが必ず言われたのは、『早く結婚しろ、他人の飯を食ってこい』ということ。まずは外の世界を勉強してこいということなんでしょうね」
その後、父の経営する茨城白菜栽培組合に入り、岩瀬も父とともに仕事の現場を見て回った。浅漬けブームによるハクサイの需要をまかなうため、産地開拓しようと県外へ飛び込み営業にも行った。
「いまは考えられないですが、現金で1000万円くらいを持って群馬や長野に出かけました。農家の多くは保守的なので、なかなかよそ者が行っても受け入れてもらえない。そこで現金を見せて『これで売ってほしい』と頼み込んだものです。当時は契約栽培といっても、ピンと来なかった時代ですが、実際にやってみて、安定した収入が得られることが口コミで広がっていきました。互いの利益になるのだと納得してもらうためには、信頼関係が大事ですね」
ハクサイの世界を飛び出しレタスの新会社を設立
順調に成長を続けてきた茨城白菜栽培組合だったが、バブル以来の浅漬けブームもやがて陰りが見えてきた。だが幸運にも、浅漬けブームと入れ替わるように1990年代後半からキムチブームがやってきた。このためハクサイの生産量は落ちることはなかった。
仕事は順調だったにもかかわらず、その頃から岩瀬は「このままでいいのだろうか」という思いを抱くようになった。キムチが売れるようになったからいいようなものの、ブームがいつ去るかはわからない。ハクサイ生産者の高齢化も進んでいる。同じ土地でハクサイだけを作り続けることで連作障害も起きる。いまの若者の食の嗜好を見ていると、この先、漬物が成長するマーケットになるとも思えなかった。リスクを避けるためには、もうひとつ事業の柱を立てた方がよいのではないか。
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岩瀬弥隆 イワセヨシタカ
(有)クリアライズ
代表取締役社長
1964年、茨城県古河市(旧総和町)生まれ。父は2農業生産法人茨城白菜栽培組合の代表取締役社長、岩瀬一雄氏。高校卒業後、東京の漬物店勤務を経て、茨城白菜栽培組合に入社。2001年に独立し、2クリアライズを設立。社員4名。契約栽培で「天使のレタス」というブランドを総菜メーカーなどに販売し、生産者と消費者をつなぐコーディネーターとしての役割を目指す。2008年より茨城白菜栽培組合の専務を兼務。 http://clearrise.co.jp/
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