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農業経営者ルポ

自分との闘いに克てるか 

笛木さんは、勤めていたいたサッシ屋の仕事で左手の甲にガラスを突き刺す怪我をしてしまった。まだ手植えの時代だったが、怪我の後遺症でうまく苗をつかむことができなくなった。そんな時、市販の始まった田植機とバラ播き育苗の話を機械屋から聞いた。現物は見たこともなかった。笛木さんには機械化で農業経営を発展させようなんて意識はない。ただ、楽ができればの一念だった。笛木さんは、南魚沼郡塩沢町の一町五反程度の稲作農家に三人兄弟の末っ子として生まれた。兄二人が家を出てしまったので、家を継ぐというより誰かが親の面倒を見なけりゃならないという理由で仕方なく家に残ったのだ。
父に無断の田植機導入


 笛木さんは、勤めていたいたサッシ屋の仕事で左手の甲にガラスを突き刺す怪我をしてしまった。まだ手植えの時代だったが、怪我の後遺症でうまく苗をつかむことができなくなった。そんな時、市販の始まった田植機とバラ播き育苗の話を機械屋から聞いた。現物は見たこともなかった。笛木さんには機械化で農業経営を発展させようなんて意識はない。ただ、楽ができればの一念だった。

 笛木さんは、南魚沼郡塩沢町の一町五反程度の稲作農家に三人兄弟の末っ子として生まれた。兄二人が家を出てしまったので、家を継ぐというより誰かが親の面倒を見なけりやならないという理由で仕方なく家に残ったのだ。

 高校を卒業して五年、昭和四三年のことだった。育苗の勉強といっても、一日、長岡まで出て話を聞いただけである。父親には無断で機械を注文した。相談して賛成してくれるはずもなかったからだ。初年度は一・五haの田のうち四〇a分だけを作ってみた。結果はみごとに失敗だった。機械で、しかもあんな小さな苗を移植するなんて信じていない父上は、当然怒った。村の人たちも皆が冷やかしの目で見ていた。

 でも、この育苗・田植えへの取り組みが、農業経営者・笛木守氏が誕生するきっかけとなったのだ。

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