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江刺の稲

国母選手と、オーストラリアで聞いた話

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第168回 2010年03月01日

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バンクーバー冬季五輪スノーボード日本代表の国母和宏選手(21)の選手団ユニフォームの着こなしと、その“反省記者会見”についての人々の反応について我がスタッフの意見を聞いて、61歳の僕自身とスタッフたち(平均年齢30代前半)の反応があまりに違うのに驚いた。

僕の反応は「なんだあのガキ。国の税金で国民の代表としてオリンピックに出ているのに、みっともない!」である。もう少し付け加えれば、個人の趣味については勝手にすればよい。国を代表しようがしまいが、あの記者会見の様子はまさにすねたガキにしか見えない。あれでは彼自身の持っているかもしれない矜持すら示し得ないではないかということだ。

しかし、そういう僕の反応に、スタッフの反応は総じて冷ややかだ。「スノーボーダーにとってはあれのほうが普通のファッションじゃないですか?」「むしろ、そんなことで『出場を辞退させろ』なんて言う方がよっぽど非常識に思えますよ」「なんでこんなに騒ぐのでしょうね。確かに大人気ないとは思うけど、たいした問題ではないのでは......」「個人としては友人に対する思いやりのある子のようで、照れ屋なんじゃないですか」

さらに、ある生意気なスタッフは、「社長の21歳の時はどうでしたか?」などと言うありさま。

実は僕自身、この欄の2001年7月号で、野茂、イチロー、新庄たちが日本の野球村を捨て大リーグに挑戦する姿に「『往年の名選手』たちがかび臭い俗物オヤジの御託を垂れ流している」と批判したことがある。「それは典型的な形で示された“村”社会での多数派による己を危うくするチャレンジャーや新時代を切り開く者へのイジメに見える。同時にそれは現代の日本とその中にある様々な業界(むら)を支配してきたお山の大将たちやその取り巻きたちが、歴史の地殻変動に揺れる砂山の上でうろたえている姿でもある」と思えた。

自らの人生をかけて自らの経営と既得利権にすがり変化を認めようとしない農業界と闘ってきた世代の方々は、国母選手の振る舞いと我がスタッフたちの言い草をどのような感想を持って聞くのだろう。

日本の若者に関してもうひとつ話題を提供しよう。以前、オーストラリアの農村を訪ね、農業経営者の話を聞いて回ったことがある。オーストラリアの農場は、ワーキングホリデー制度を使って世界(特に欧米系)から集まってくる若者の労働力で成立しているといっても良い。たくさんの日本人の若者もそれを使ってオーストラリアに渡っている。しかし、同地の農業経営者たちは、口を揃えて「日本人は使いたくない。女の子はともかく特に男の子は要らない」と言うのだ。

彼らは決して人種差別をしているわけではない。その証拠に子供を日本に留学させているという人も少なくない。理由を聞くと、語学能力の問題ではなく、日本人だけで部屋の隅に巣食っているようで皆と馴染まないという。日本人の若者が自分を主張できないことを不気味に思うのだろうと思った。記者会見で国母君が、「これが僕自身のスタイルです。競技の結果を見てほしい」とでも言ったのなら、僕は単純に彼を支持したのかもしれない。そして、あのまま彼がメダルを取ったとしたら、日本のメディアが手の平を返したように彼を持ち上げたのであれば、もっと不愉快な気持ちになったのかもしれない

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