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エコファーム・アサノ 脳業発想力

モノサシのない世界で自分が基準になれ


 そもそも農産物は何が面白えかっていうと、同じものは二度とできないってことでしょ。工業製品みたいにボタンひとつ押せば同じ野菜が出てくるわけじゃねえ。その時々の食材をどう活かすかっていうのがシェフの仕事で、こういうメニューがあるからこのレシピでつくるってのは関係ないの。日本の若い人たちはフランスに行ってレシピを覚えようとするけど、そんなのおかしいんだって。だから以前、ピエール・ガニェール(パリの三ツ星レストランのシェフ)がうちにきたときに、俺はガニェールにも言ったもん。「俺はレシピが決まってて立派なメニュー帳があるレストランはろくなもんじゃねえと思ってる」って。そしたらガニェールはこう答えたよ。「うちの店にはメニューはない。同じ料理は二度とできない」ってさ。

 たまにうちの野菜に「この前と味が違う」って文句つけてくるシェフもいるけど、答えが決まってねえのに同じ答えを求めたってしょうがねえの。そんなときは「じゃあお前は同じ味の料理が二度とできんのか」って言ってやるもん。そんなもんできるわけねえじゃんよ。味見するときの料理人の体調だって違えば、同じお客が食べるわけでもねえんだよ。同じものってのはその瞬間にしかなくて、次の瞬間には別のものになってるの。それもわからずに料理するなんてもってのほかだよ。

 そうかと思えばこんなシェフもいる。オヤジが日本料理の店をやってるんだけど、そいつは敢えて日本料理をやらずに、独学で料理を学んでレストランを立ち上げたの。それで「オヤジには負けねえ」って言うわけ。笑っちゃうけどそれでいいの。オヤジの跡継いで日本料理やるようじゃダメよ。同じことをやったって常に比較されてオヤジより上には行けねえんだからよ。

 料理人も百姓もモノサシのねえことをやるのが一番いいの。モノサシのないものは比較ができねえし、そこでニーズも基準も自分が作っちゃえばいいんだよ。もし比較されることがあっても、そのときは自分が基準じゃん。そうすっと後発のやつが追いつく前にどんどん先に行っちゃうから、よほどの偶然でもない限り追い越されることもねえの。見えないものを探すのは大変かもしれねえよ。でもそれを商品にして楽しめるのは、発想次第でなんでもつくり出せる百姓の特権でもあるんだよ。

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