ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

人生・農業リセット再出発

日本の10倍、13億人巨大曝食の胃袋を狙え

 「長崎鳥叫、上海聴到とは、長崎で鶏が鳴けば上海にも聞こえるほどの近所と言う意味ですよ!」。私のノートにスラスラと書きながら、終始にこやかな上海出身の紳士、45歳の徐迪旻さんは言った。中国政府の留学生として来日して慶応大学で商学博士まで進み、現在は5月開会を待つばかりの上海万博駐日事務所の代表を務めている。六本木ヒルズなど多数のビルを所有する森ビル社長の便宜で、虎ノ門の森ビルを事務所に使っている。開会前に日本財界の視察団一行が上海へ向かうが、彼の推薦で私もアゴアシ付きで招待されることになり、その打ち合わせの最中だった。途中で各県知事などのVIPたちが頻繁に出入りする。この上昇気流の熱気と勢いは、1964年の東京オリンピックから1970年の大阪万博へ向かう高度経済成長期の日本と酷似している。坂本龍馬の時代には、海外情報の集積基地だった長崎まではまだ鉄道がなく、横浜から海路で瀬戸内海、下関、玄界灘へと抜けて5日かかったが、長崎から上海へは3日足らず。今日の飛行機では国内の東京=長崎が2時間に対して、長崎=上海は1時間ちょいである。

関連記事

powered by weblio