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新・農業経営者ルポ

きのこ園長の大逆転人生。


 時折りしも、新型ブロックの登場で、父の会社はピンチに立たされていた。久々に帰省すると、1本35kgもの重量がある売れ残ったブロックが、何千本も山となっていた。見るに見かねた息子が、堰を切ったように父に提案する。

「業態転換しようよ。老人ホームを建設して、同時に、老人たちのリハビリのための軽作業場を作るんだ。リハビリをして小遣いまでもらえるんだったら、老人たちも活性化するんじゃないかな」
 齋藤家には、50aほどの平坦な土地がもうひとつある。その土地に老人対象の養護施設を建て、父親の会社の敷地に栽培ハウスを導入する。ブロックは持てない老人でも、農作物なら運べる。すなわち休眠中の土地と、佐倉の老人たちに息を吹き込もうというアイディアだ。古くから障害者雇用に取り組んでいた父の返事は、待つまでもない。だが、ではハウスで何を作付けするのか。その解答にたどりつけないままでいた。

 齋藤とシイタケとの“再会”は、ふと目にした新聞記事がきっかけだった。自分の人生を大きく変えた瞬間を、彼は今でも忘れない。

 「それは、シイタケの菌床栽培の新しい技術に関する記事だったんです。読んだとたん、あ、これだって思いましたね。自分の夢を実現するためですから、好き嫌いの問題はどうでもよくなってました」

 豊かな香りを放つシイタケ茶をすすりながら、齋藤が続ける。

 「それで父に報告したら、その話は自分も知ってると言うんですよ。せっせと切り抜いてきた雑誌や新聞のスクラップを棚から出してきて、よく見たら、きのこ関係の記事や広告もきちっと整理されてました。で、じつはオレもやりたかったんだよって、そう言われたんです」


大のシイタケ嫌いだからこそ追求したシイタケの品質

 63歳の父親と30歳の息子、二人三脚の全国行脚が始まる。宮城、新潟、群馬……、原木農家や菌床農家を視察するために渡り歩いた。そのたびに、相手には同じことを言われる。「オレが作ったシイタケは日本一うまいぞ」と。佐倉に戻って調理してみると、たしかに家族は舌鼓を打つ。孤立したのは、齋藤だけだ。「シイタケって、本当にマズいな……」。ともすればつまずきそうになる自分を、「新しい事業を興す」という初志だけが支えていた。

 山から伐ってきたクヌギやコナラの木を寝かせ、水分を飛ばしたあとに菌を打つのが「原木栽培」だ。木や菌の質にもよるが、植菌してから全体に菌が回るまでに、どんなに早くても半年、なかには1年半も待たされる。出芽するのは、そのあとだ。つまりそのあいだ、収入なしのまま生活しなければならないわけだ。

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