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新・農業経営者ルポ

白馬村の革命児



 店頭で商品を販売するように、津滝は相手の顔を見たかった。食べる人の声を聞きたかった。庵に蟄居した書家のように作物を一方的に追及するのではなく、買ってくれる人間とのツーウェイを求めた。すなわち「生産」というスタート地点を重視するのではなく、「販売」というゴール地点により多くの意識を傾けたいのだ。高品質の商品を作れば、値段が多少高くても売れるという時代は、もはや終焉した。津滝が標榜する「マーケット・イン」は、ユーザーが求める品質を、求める量だけ提供するという経営姿勢だ。つまり、まず食べる人ありきなのである。


「観光資源」としての農業

 バス通りの脇を、春の花が黄色いアクセントを加えていた。「白馬へようこそ」と、訪れる者に歓迎の言葉を投げかける。農道を歩けば、色彩豊かな花弁が秩序なく顔を出す。底冷えする寒さとはほど遠い、いささかアンバランスな陽春の風景だった。津滝自身が所有する3haほどの土地も含め、TMの借地契約は400件以上、100haにも及ぶ。白馬村の総耕地面積が520haだから、その5分の1近くがティーエムの管理下にある。

 案内された先は、2年前から本格参入したブルーベリー農園だった。1haの土地に、およそ2300本の樹木が立つ。収穫のタイミングをスライドさせるため、7種類のブルーベリーが植えられている。色も味も、それぞれ個性が際立つそうだ。

 もともとここは先達者たちが拓いたブルーベリー農園だった。白馬村にはこうした観光農園が、20年以上も前からある。だが経営陣が高齢化するに伴って管理しきれなくなり、数年前に行政から経営を引き受けてくれないかと依頼があったのだ。

 これには、白馬独特の土地環境が関連している。ウィンタースポーツのメッカとして知られる白馬には、札幌と並ぶ国際仕様のジャンプ台がある。72年の札幌大会から数えて、28年ぶりに開催された長野五輪の遺産だ。五輪景気に沸いた98年当時は、津滝もそこそこ潤った。流通現場で培った手腕が買われ、複合施設の建設指揮の責任者に一任されたのだ。95年には、JC(=青年会議所)の理事長にも就任した。自ら率先して震災後の神戸に赴き、山積みにした救援物資をトラックで届けたものだ。ちょっとは知られた顔だった。

 白馬のシーズンは冬だけではない。ゴルフ場はもちろん、テニスコートからアーチェリー施設にいたるまで揃っているだけに、夏はクラブ活動の合宿地としても賑わう。人口9000人の村に、年間を通して訪れる観光客の数は、なんと280万人にものぼるという。それを物語るのが、長閑な風景とは不釣合いな大型スーパーや、コンビニの数かずだろう。白馬は、観光立国なのである。

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