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新・農業経営者ルポ

白馬村の革命児


 「会社を立ち上げるとき、スキー絡みの学生たちが、たまたま残っていたんですよ。昔はスキー場関連の仕事もたくさんあったんだけど、今はここでも就職難でね。大学卒業だっていう時期に、まだ就職先が決まってない子たちがいっぱいいるんですよ。とくに県外の子たちは、白馬に残っても生活のしようがない。かといって年間の雇用を受けると、今度はスキーができなくなってしまう。だったらウチに来ないかと、ボクから声をかけたんです。夏は農業をして、2mの積雪で農業ができない冬は山へ行けばいいんですから」

 26歳の吉田隼人は、岩岳のパトロール隊員だ。この農場で働き始めて2年目で、コンバインなどの操縦席に自分の目標を置いている。オペレーターはティーエムの花形職、彼らはそれを「ライダー」と呼ぶ。最も古株で8年目を迎えるのが、28歳の丸山真宏だ。元全日本クラスのモーグルスキーヤー、岩岳のパトロール副隊長でもある。ほかにはない農場の雰囲気が気に入っている。丸山と同級生の太谷敏也も6年目になり、八方屋根でナショナル・デモンストレーターを務める。「頑張ったぶんだけ、作物も答えてくれる。自分が怠ければ、作物もダメになる。そこにやりがいを感じます」と、神妙な顔で彼は話す。ふたりとも、実家は農業を営む。年齢を考えれば、将来を睨んだ冷静な選択肢だった。いずれにしろ「雪山」という共通項が、彼らの和をリンクさせていた。

 津滝社長の隣家で、やはり宿屋を営むのは、取締役の津滝晃憲だ。同姓ではあるが親戚関係はなく、純然たるビジネスパートナーだ。飄々とした風貌の36歳の取締役が、若者たちをこう評価した。

 「彼らは冬場を楽しむために農業の世界に入ったんだけど、今は夏場が生活の中心になりつつあります。真剣に意見を交わすようになってるし、このまま10年、20年たったら、いったいどんな会社になってるのか想像もつきません。農業以外の事業を開拓してるかもしれませんから」

 津滝は子どもに恵まれなかったこともあり、時折り会社の将来に想いを馳せる。我が身は朽ちても、会社は遺る。自分の起業精神を次の世代に伝えられれば、それでよしとする。

 「1+1がただの2になるのではなく、3以上になるようなチームワークを作ることが大事だと思います。そして将来は、この会社を上手に使う。あるいは独り立ちして、新会社を作ってくれればいい。個人農業では、もう食ってはいけない時代なんですから」

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