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エコファーム・アサノ 脳業発想力

安楽死と自立



 ただ、本人に「自分は健常者じゃないけど、人のためにこういうことで役立つんだ」って意識があるならそれでいいの。それを社会がちゃんと受け止めればいいんだから。体が動かなくなった年寄りだって、自分が丈夫なときに培ったノウハウとか知恵を若い人たちに話すだけでもいいじゃん。そういう受け皿とか交流の場をいかにつくっていくかが大事なんだよ。

 実はうちにも身障者の孫がいるの。養護施設でいま中学なんだけど、高校くらいまでしか施設の世話にはなれねえ。今後どうすればいいかって話だけど、俺は身障者でも車椅子で野菜を収穫できる仕組みがあればいいんじゃねえかなって考えてる。身障者の何割かの人たちが労働力になると考えたときに、健常者じゃなくても構わない仕事ってのはあるわけじゃん。座ってできることとか、手が使えさえすればできることはいくらでもある。そういうところで受け皿をつくってやれば、産業構造だって変わってくるじゃんよ。同じような境遇で「野菜作りが好きで、社会に貢献したい」って人がどんどん集まってくれば、身障者の生産団体だってできるかもしれねえじゃん。子どものときから人の世話になって成長してきたんだから、いつか社会に返さなきゃ。

 それでそのとき、身障者が生産した野菜を専門に扱うレストランがあればなおいいじゃん。そのレストランはバリアフリーはもちろん、身障者も食べにくることができるような配慮がされているわけ。社会貢献を目指している人たちがそこで食事を楽しめて、交流もできる。これからはそういう拠点が必要なの。

 生老病死ってのは、お天道様と同じように人間にとってままならないものじゃん。いまの社会はままならないものを排除しようとするけど、年寄りだって身障者だって本人の意思さえあればいつでも社会に参加できるようにするべきなの。車椅子のテニスで世界一になった日本人選手がいるけど、ああいう人があらゆる分野で生まれてくるといいよな。そこで農業が果たす役割だってあるはずじゃん。少なくとも年寄りは自分から介護を受けようなんて思っちゃダメよ。

 俺はいま66歳だけど、人間ってのは還暦で干支をひとまわりしてまた赤ちゃんに戻るわけでしょ。だから俺はいま、自分の年齢は6歳だと思っている。大人になったら何をやろうか、今から楽しみだね。

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