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木内博一の和のマネジメントと郷の精神

和郷園の“プリンシプル”

日々、食べ物を必要とする人類にとって、農業経営者はその生産インフラの最前線にいる存在と言える。そう考えれば和郷園が何をやってきたか、何をやっていくかの判断基準となる“プリンシプル”はおのずと定まる。自然、地球環境、人類の価値観に合う、当たり前のことをシンプルに考え、素直に実行することだ。

農業は究極のインフラ投資

 「上海・和郷園」構想を読んだ、若い農業者の方から質問を受けた。

 「どうしたらそのような発想ができるようになるのですか」

 実は私は、個人の発想自体にあまり本質的な価値はないと考えている。和郷園が何をやってきたか、そして何をやっていくかの判断基準は“プリンシプル”に行き着く。

 これをしいて一言の日本語に訳すと、“揺るぎない原理原則”といった意味になる。もともと英国の概念だが、私の解釈では、地球だとか、自然だとかに存在しているものは平等に権利を持っていて、そこに存在する人類一人ひとりが「どうしても外せない」「どうしても必要だ」といつのまにか合意形成されてきた共通の価値観みたいなもの│それが、プリンシプルである。

 農業という仕事は突き詰めれば、日々、食べ物を必要とする人類にとって究極のインフラ投資だ。我われ農業経営者にとって、事業で大きな判断を要することといえば、農地改良や機械・設備購入など、インフラへの投資ではないだろうか。「上海・和郷園」のような事業も同じだ。つまり、農業経営者は人類のインフラ産業の最前線にいる。

こうした農業のロケーションを自覚すれば、プリンシプルに合わないもの、つきつめれは自然、地球環境、人類の価値観に合わないようなインフラ投資が長い目で見てうまくいくことはありえない。
 これは“調和”や“バランス”と混同しがちだが、異なるものだ。プリンシプルにはもう一つ踏み込んだ真意が含まれている。プリンシプルに沿って「自分たちが思う」ことは「自分たちがやる」ことが原理原則だ。思ったらその務めを享受し、実行する。少なくともそのことに関わり続ける責任感を持つ。

 だから、プリンシプルに合うと思えば、そこには目いっぱい事業戦略を練り、とことん投資をして間違いない、とこう考える。

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