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空中散布が自分の意志ではないとはいえ、昨年度の場合、結果からいえば袋の表示には誤りがあったわけで、その告知を怠ったことはI氏にも非はある。
今回の朝日の報道を通して、その背景にあるもの、そして時代に先駆けて道を切り開こうという経営者のおかれている立場について考えさせられた。
文春は、他社の地元担当記者の話として朝日の記事は「農協か食糧事務所のリークでは?」という推量を書いている。いかにもありそうな気もするが、そうだとしたら、それはあまりにもお粗末で子供じみた「陰謀」である。だから、仮に関係者であっても個人的なおしゃべりに発したことではないかと、むしろ僕は思いたい。もし公的な組織が法制度や契約上においての特定の個人を問題にするのなら、あくまで法や契約の問題として対処すべきことであると考えるのが、組織人のはずだからである。それが組織や行政の原則である「公正」を信じる前提だと思うからだ。
この「ニセ低農薬米報道」事件の怖さとは、責任能力のない個人の妬みによって発せられる噂や、自らの小さな失点がメディアにのることで、それまで作り上げてきた事業者としての信用をいとも簡単に潰えさせられてしまうことを示していることである。
今回の事件の本質は、農業関係者の変化への危機感なのではないか。どこにでも誰にでも降りかかり得る事件なのだ。この問題の背景にあるのは、いままで「農業問題」として語られてきた「農業を守れ」という「建て前」の大合唱の本質が、実は「農業・農家」の問題というより、行政や団体だけでなく農業関連企業を含む、今の利権にしがみつきたい「農業関係者」の問題であったことが誰の目にも明らかになってきたことだ。
この先、今まであれほど強いと思われてきた組織や企業が組織縮小をせねばならず、人員も整理せねばならないのである。機械や資材の生産流通も否応なく変化が迫られる。それは自助努力する農業経営者たちにとっては、むしろ望ましいことかもしれない。それでよいのだ。しかし、それらの組織や企業もかつては求められ有効に機能したはずのシステムであり人びとであったものなのである。この変化には誰かの痛みを伴うのだ。
「経営者は裁かれているのですヨ。お客様、従業員、家族、社会そして歴史に裁かれている」と、ある経営者の方から聞かされたことがある。
その社長は、だから自らを問えといい、またそこからこそ経営者であるおのれの社会的責務と意志を確認し、そして勇気を持て、と僕に伝えたかったのだと思っている。それを自らに問えるからこそ、様々な障害や抵抗を、時としては誰かに痛手を与えることがあったとしても、それを乗り越えて自分の思うことを確信を持って行えるのではないか。
経営者の自負とは、自らを被害者としてその怨念をたぎらせるあなた任せの人生ではなく、誰かを傷つける存在であるかもしれないおのれを問いながら、社会に求められる存在として未来を開く人生を歩もうとする意志から生まれてくるのではないか。経営者であることの面白さと有り難さもそこにあるのではないか。少なくとも僕らは、誰かに頼まれて現在の仕事をしているわけではないのだから。
その意味でI氏に思いを込めてエールを送りたい。
今回の朝日の報道を通して、その背景にあるもの、そして時代に先駆けて道を切り開こうという経営者のおかれている立場について考えさせられた。
文春は、他社の地元担当記者の話として朝日の記事は「農協か食糧事務所のリークでは?」という推量を書いている。いかにもありそうな気もするが、そうだとしたら、それはあまりにもお粗末で子供じみた「陰謀」である。だから、仮に関係者であっても個人的なおしゃべりに発したことではないかと、むしろ僕は思いたい。もし公的な組織が法制度や契約上においての特定の個人を問題にするのなら、あくまで法や契約の問題として対処すべきことであると考えるのが、組織人のはずだからである。それが組織や行政の原則である「公正」を信じる前提だと思うからだ。
この「ニセ低農薬米報道」事件の怖さとは、責任能力のない個人の妬みによって発せられる噂や、自らの小さな失点がメディアにのることで、それまで作り上げてきた事業者としての信用をいとも簡単に潰えさせられてしまうことを示していることである。
今回の事件の本質は、農業関係者の変化への危機感なのではないか。どこにでも誰にでも降りかかり得る事件なのだ。この問題の背景にあるのは、いままで「農業問題」として語られてきた「農業を守れ」という「建て前」の大合唱の本質が、実は「農業・農家」の問題というより、行政や団体だけでなく農業関連企業を含む、今の利権にしがみつきたい「農業関係者」の問題であったことが誰の目にも明らかになってきたことだ。
この先、今まであれほど強いと思われてきた組織や企業が組織縮小をせねばならず、人員も整理せねばならないのである。機械や資材の生産流通も否応なく変化が迫られる。それは自助努力する農業経営者たちにとっては、むしろ望ましいことかもしれない。それでよいのだ。しかし、それらの組織や企業もかつては求められ有効に機能したはずのシステムであり人びとであったものなのである。この変化には誰かの痛みを伴うのだ。
「経営者は裁かれているのですヨ。お客様、従業員、家族、社会そして歴史に裁かれている」と、ある経営者の方から聞かされたことがある。
その社長は、だから自らを問えといい、またそこからこそ経営者であるおのれの社会的責務と意志を確認し、そして勇気を持て、と僕に伝えたかったのだと思っている。それを自らに問えるからこそ、様々な障害や抵抗を、時としては誰かに痛手を与えることがあったとしても、それを乗り越えて自分の思うことを確信を持って行えるのではないか。
経営者の自負とは、自らを被害者としてその怨念をたぎらせるあなた任せの人生ではなく、誰かを傷つける存在であるかもしれないおのれを問いながら、社会に求められる存在として未来を開く人生を歩もうとする意志から生まれてくるのではないか。経営者であることの面白さと有り難さもそこにあるのではないか。少なくとも僕らは、誰かに頼まれて現在の仕事をしているわけではないのだから。
その意味でI氏に思いを込めてエールを送りたい。
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昆吉則 コンキチノリ
『農業経営者』編集長
農業技術通信社 代表取締役社長
1949年神奈川県生まれ。1984年農業全般をテーマとする編集プロダクション「農業技術通信社」を創業。1993年『農業経営者』創刊。「農業は食べる人のためにある」という理念のもと、農産物のエンドユーザー=消費者のためになる農業技術・商品・経営の情報を発信している。2006年より内閣府規制改革会議農業専門委員。
江刺の稲
「江刺の稲」とは、用排水路に手刺しされ、そのまま育った稲。全く管理されていないこの稲が、手をかけて育てた畦の内側の稲より立派な成長を見せている。「江刺の稲」の存在は、我々に何を教えるのか。土と自然の不思議から農業と経営の可能性を考えたい。
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