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木内博一の和のマネジメントと郷の精神

年収75万円——「農業に未来はない」

白色申告から青色申告に変更した専業農家の木内家。家族一人当たりの年収が75万円であることが判明する。農業の希望のなさに呆然としながら、畑作業中に頭をよぎるは将来への不安ばかりだ。ある日、ニンジン畑で作業をする母の背中を見つめていると、ある思いがこみ上げてきた。農業経営者・木内博一の誕生秘話。

 私が就農した時期、木内家は露地の畑作を中心の営農で、確定申告は白色申告だった。現在の個人農家では青色申告が主流だが、当時は白色申告も多かった。読者もご存じのとおり、その申告のやり方は昔ながらの実に大雑把なもの。「芋類」「稲類」などといった分類に分かれ、それらをどのくらいの面積で作っているのか申告するだけだった。

 たとえば、○○類を10反作ったとしたら、「○○類は反当り平均10万円なので、売上は10反×10万円=100万円です」となる。このように、作物ごとに反当りの売上が決められており、鉛筆を舐めるように簡単に申告するわけだ。

 この申告が何を意味するかといえば、多くの農家が農業では詳細な算出を必要とするほど売上が出せていなかったということだ。「売上」という概念さえなかったといってもいいかもしれない。何しろ現在でも「売上」という概念を持たない農家はたくさんいるとおりだ。

 話を木内家に戻すと、私が継ぐということを知った近所の農家の人が、父にこう言った。

 「そろそろ木内さんのところも、青色に変えてみてはどう」

 その言い方がうちを小バカにしたような言い方だったので、父も面白くない。「うちも青色にすっぺ。お前がやれや」ということになり、私が青色申告をすることになった。

 計算してみると、まず、家の売上が720万円であることが初めて分かった。ここから機械代や資材、種代などの経費を差し引いていくと、収入に該当する残りは約300万円。両親と祖母、私を合わせた4人で年収300万円、つまり一人当たり75万円でしかない。これが「農業=本業」の経営状態だった。

 「これじゃ、まるでビジネスとして成立していない……」

 父がよその手伝いなどをして別に400万円ほどの収入があったので、食っていくには困らない。しかし、そうはいっても両親も祖母も忙しく働いているのだし、たとえばこれがほかの業種だったらどうなのか。年収75万円で働いている人たちがいて、一年を通すと赤字になっている会社のようなものだ。

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