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木内博一の和のマネジメントと郷の精神

年収75万円——「農業に未来はない」



農業という職業の壁

 この事実を知ったときに、私は「農業には未来がない」という言葉の意味を痛感した。

 それでも農家が農業を続けているのは、ほかにやれることがないからではないか。そして、親が子供に継がせようとしない、農業をやらせないように教育しているのも、当たり前のことではないか、と―――。

 当時、父は冬になると近隣の根菜類の産地問屋に働きに行っていた。産地商人のような問屋で、ゴボウやニンジンなど根菜類の収穫機械のオペレータとして季節的に働いていた。

 私が就農してから、祖母はあまり畑に出なくなった。そのため主に両親と私の3人で仕事をするようになり、父が商店で働く冬は、私と母の2人で農作業をすることになった。

 そんな、ある冬の日のこと。私は母と2人でニンジンの間引き作業を始めたが、これがなかなか大変だった。腰を曲げて3粒くらいの芽を1本に選抜していく作業が、延々と続く。しかも母に聞くと、私の就農以前はこの作業を母が一人でやっていたといい、私が加わったその年は自分の作業量が減ったので足取りが軽いという。

 ところが私のほうは、作業を始めてすぐに「早く10時の休憩がこないかなあ」と考え、休憩が終わると、今度は「早く昼ごはんの時間にならないかなあ」、そして午後は「早く日暮れにならないかなあ」と、こんな調子だった。

 目の前に広がるのは、1ヘクタールほどの畑。これを手前からニンジンの間引きをしながら、「いったいいつになったら向こう側に着くのだろう」「いったい何日かければこの作業は終わるのだろう」と、そんなことばかりを考えていた。

 子供の頃に農作業をやっていたので、好きではないにしても作業そのものには抵抗はなかった。しかし、生まれて初めて職業としての農業に接したとき、職業としての辛さ、壁にぶつかった。

 頭のなかにさまざまな不安がよぎった。年をとっていく母はこの作業にこれからも耐えられるだろうか。自分は来年、耐えられるのだろうか……。これから長いあいだ、自分は本当に農業をやっていけるのだろうか……。そして不安はほかの面にも向かっていった。

 もし自分が結婚したとして、奥さんになる人は母と同じ作業をやっていけるのだろうか。1年働いても年収は一人当たり100万円にもならないのに、その人に「一緒に作業をしてくれ」と自分にはいえるだろうか……。

 私は初めて大人として自分の将来を見つめたのであり、農家として生きていくことの希望のなさに呆然としたのだった。

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