ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

新・農業経営者ルポ

大規模経営を通して、地域と世代間の共生を図る



 「それはありませんでした。そういうものだと思っていたんでしょうね。ただ父にしてみれば、本当にこいつにやれるかどうか冒険させてみたのかもしれません」といって境谷は笑った。

 たしかに冒険かもしれないが、それは境谷の父ならではの経営教育だったのだろう。高校生になった境谷に給料を支払っていたように、中学までは非常に厳しかった父は、高校になると境谷を一人前と認め、説教じみたことは一切言わなくなった。

 22歳で境谷が結婚すると、それまで出稼ぎに行くことのなかった父が出稼ぎに出かけるようになった。翌年からは肥料の選択や注文から申告まで任された。早期の経営移譲を念頭に置いて、様々な事務手続きをできるようにするための父の計らいだったのだろうと、境谷は思っている。

 1975年、25歳の若さで境谷は父から経営を移譲される。当時の水田面積は7.4ha。「これからの農業は規模を拡大しないとやっていけない」と言っていた父のやり方を見てきた境谷は、自然に経営の規模拡大を志向していた。

 「はっきりした計画があったわけではありませんが、自分はどこまでやれるだろうか、どうせやるなら、やれるだけやってみようという興味はありました。やれる自信はありました」

 経営移譲から6年で水田面積は倍の14.5haにまで拡大した。米価が上がっていた時期だったので、資金の調達には困らず、少しくらい離れている土地でも積極的に購入していった。ただし、面積が広がれば当然、作業は増えて忙しくなる。そんな時にとある用事で仙台の農政局を訪れた。すると、そこの知り合いが「何の仕事をやってもいいが、いざ間に合わない場合には、不眠不休という手があるんだよ」と言った。

 「ああ、そうか、そういう手があるのかと思いましたね。当時私は30代半ばで気力も体力も最高に充実していた時期だったこともあって、不眠不休でやればやれないことはないのだと納得したものです」


設備投資を過剰投資とはいわせない

 昭和の終わりから平成にかけて、周辺集落では高齢化に伴い耕作放棄地が増えてきた。境谷のもとには、耕地の維持ができなくなった農家から、麦や大豆などの転作作物の農作業を引き受けてほしいという依頼が増えてきた。農作業の受託はビジネスになるのはもちろんだが、それ以上に衰退していく地域農業の活性化にもつながる。条件の悪い土地であっても、頼まれれば引き受けた。

関連記事

powered by weblio