記事閲覧
【農業経営者ルポ】
百姓・百勝・百笑
- 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
- 第9回 1995年03月01日
- この記事をPDFで読む
江藤一幸さんの名刺には「百姓・百勝・百笑」と「肩書き」が付いている。江藤さんは39歳、九州の屋根ともいうべき大分県の九重連山に囲まれた山間の村で七 haの野菜作をする開拓二世だ。
九州とはいえ、江藤さんの住む九重町は標高三五〇mから一〇〇〇mを超す山麓の傾斜地に広がる地域であり、江藤さんの畑も六五〇mの標高がある。年間の平均気温は十三~一四度で、夏の気温が低く温度の日格差が大きい。冬は雪こそ積もらないが夜間にはマイナス一〇度を下ることも少なくないという準高冷地だ。
江藤さんの父親・幸さん(63歳)が二二歳だった昭和二九年に地元の村から入植したものだ。
江藤さんを知ったのは、スガノ農機が募集する経営体験記への応募原稿を通してだった。
ハクサイ(四ha)、キャベツ(一・五ha)を中心にブロッコリ、花木などを栽培する七haの畑は年一作しか使わない。毎年一〇〇tを超える大量の堆肥を投入し、ソルガム、ライ麦など夏冬取り混ぜての緑肥を入れる。高校時代から自分でブルに乗って整備してきた畑には、プラウ耕、サブソイラ耕を欠かさない。そして酪農家との交換耕作。傾斜もきつく、夏に集中して雨が降る地域であってもエロージョンを起こしていない土壌管理。
「有機物循環農法体験記」というテーマでスガノ農機が毎年募集している経営体験記の内容としてはその理念にピッタリのものだった。でも、筆者が江藤さんの印象を深く感じたのは、体験記の中のこんな一節だった。
「農業というのは神様の次の仕事。どんなに工業が栄えても、人はTVや車などの工業製品を食べて生きれるわけではない。農家の手にかかった物を食べない限り、神様からいただいた命をまっとうできないのだから…。楽しく、プライドを持って百姓してます」
なにか突き抜けたような明るさと自信を感じた。
そして初めて江藤さんに会ったのは、「体験記」の表彰式だった。挨拶に立った彼は、開口一番。
九州とはいえ、江藤さんの住む九重町は標高三五〇mから一〇〇〇mを超す山麓の傾斜地に広がる地域であり、江藤さんの畑も六五〇mの標高がある。年間の平均気温は十三~一四度で、夏の気温が低く温度の日格差が大きい。冬は雪こそ積もらないが夜間にはマイナス一〇度を下ることも少なくないという準高冷地だ。
江藤さんの父親・幸さん(63歳)が二二歳だった昭和二九年に地元の村から入植したものだ。
健康的な不格好さ
江藤さんを知ったのは、スガノ農機が募集する経営体験記への応募原稿を通してだった。
ハクサイ(四ha)、キャベツ(一・五ha)を中心にブロッコリ、花木などを栽培する七haの畑は年一作しか使わない。毎年一〇〇tを超える大量の堆肥を投入し、ソルガム、ライ麦など夏冬取り混ぜての緑肥を入れる。高校時代から自分でブルに乗って整備してきた畑には、プラウ耕、サブソイラ耕を欠かさない。そして酪農家との交換耕作。傾斜もきつく、夏に集中して雨が降る地域であってもエロージョンを起こしていない土壌管理。
「有機物循環農法体験記」というテーマでスガノ農機が毎年募集している経営体験記の内容としてはその理念にピッタリのものだった。でも、筆者が江藤さんの印象を深く感じたのは、体験記の中のこんな一節だった。
「農業というのは神様の次の仕事。どんなに工業が栄えても、人はTVや車などの工業製品を食べて生きれるわけではない。農家の手にかかった物を食べない限り、神様からいただいた命をまっとうできないのだから…。楽しく、プライドを持って百姓してます」
なにか突き抜けたような明るさと自信を感じた。
そして初めて江藤さんに会ったのは、「体験記」の表彰式だった。挨拶に立った彼は、開口一番。
会員の方はここからログイン

昆吉則 コンキチノリ
『農業経営者』編集長
農業技術通信社 代表取締役社長
1949年神奈川県生まれ。1984年農業全般をテーマとする編集プロダクション「農業技術通信社」を創業。1993年『農業経営者』創刊。「農業は食べる人のためにある」という理念のもと、農産物のエンドユーザー=消費者のためになる農業技術・商品・経営の情報を発信している。2006年より内閣府規制改革会議農業専門委員。
農業経営者ルポ
ランキング
WHAT'S NEW
- 有料会員申し込み受付終了のお知らせ
- (2024/03/05)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2023/07/26)
- 年末年始休業のお知らせ
- (2022/12/23)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2022/07/28)
- 夏期休業期間のお知らせ
- (2021/08/10)
