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製材所勤めをしながら兼業農家をしていた本間は、40歳で専業農家になる決断をする。
「とはいえ10haの圃場の3割が減反割り当てでは、コメだけでは食っていけません。子どもたちにもお金のかかる時期でしたし、とにかく儲けたかった。そのためにユリを選びました」
新潟県は全国でも有数のユリの産地だが、関川村での取り組みは土壌環境のハンディもあり、当時は未知の世界だった。初年度は新潟の市場に持ち込んでも値がつかなかったが、出荷先を大田市場に変えた途端に高値で売れた。出荷先の見極めや、品質が価格にシビアに反映される世界に、本間は手応えを感じた。ユリの女王と呼ばれるカサブランカは、結婚式のブーケやホテル需要など高級路線で、1本あたり平均650円で売れる。葬儀用などで需要が拡大し続けているシベリアは同330円。どちらも高品質の商品を作りさえすれば、高値で取引される。
「コメは切花と比べて自由競争による自然淘汰が少なく、またどんなに高品質でも、景気が悪くなると売れ行きが鈍ります。ところがユリの場合は、とにかく良いものを作って、相場のいい市場に出すことで、高値で安定した販売価格を維持しやすい。これは大きな魅力ですね」
収穫したユリはその日のうちに出荷され、切花部会でチャーターしたトラック便で各市場に搬送される。週3回の定期発送の納品先は、各市場の相場をにらみながら農家自身が決めている。全国の産地が品薄となる時期をピンポイントで予想し、狙いを定めて予定通りに作業を進めるのは容易ではない。だがこれこそが、ユリ栽培の面白さの真骨頂なのだろう。
取材中も突然携帯電話が鳴り、本間は対応に追われていた。通常の出荷とは別に、数百本単位の臨時注文が市場から入ってくることもあるのだ。こうした需要拡大を見込んで参入農家も増え始めているため、09年にはシベリア専門の研究会組織を立ち上げた。品質の向上と今後の供給体制の構築に、地域を挙げて着手したのだ。
夫婦間での役割分担も興味深い。大まかな戦略を本間が立てて、細かい経理や栽培計画の資料作成などは妻の淳子が担当している。一般企業でも戦略と戦術が混乱する会社が多い中、夫婦だからこそとはいえ優れた経営センスを発揮している。
このようにマーケットをにらんで、リスクを分散しながら効率よく利益を出す仕組みを構築しながらも、本間は栽培技術の面でもさらに工夫を凝らしていた。
リスク管理と栽培技術の向上
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本間茂雄 ホンマシゲオ
岩船地域農業生産組織連絡協議会
会長
1957年、新潟県関川村生まれ。地元高校を卒業後、茨城県水戸市の鯉淵学園(現鯉淵学園農業栄養専門学校)に進学。その後、自転車旅行をしながら有機栽培農家を訪ね歩く。帰郷後、24歳で製材所に就職すると同時に結婚。1997年、16年間務めた製材所を退職して専業農家になる。2年前より長男・健太郎(27歳)が就農。10haの圃場のうち、水田8haで特別栽培米を、残りの2haでユリ切花や山菜などを生産する。ユリの年間売上は2,800万円を超える。あらかわ切花部会長。
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