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エクセレント農協探訪記

年間販売高20億(職員100人)。うち三割は員外利用で事業拡大

 企業にも「エクセレント・カンパニー」(超優良企業)の呼び方があるように、農協にも「エクセレント農協」や「スーパー農協」の称号にふさわしい超優良農協がいくつかある。そうした農協は、農協界のゴタゴタとは関係なく、地に足のついた経営で組合員農家から絶大なる信頼を得ている。新進気鋭の農業評論家・土門剛氏が、そうした農協の経営ノウハウの一端をルポを交えてシリーズで鋭く切り込む。
 奇岩景勝で有名な耶馬渓に近い大分県・下郷農協は、組合員戸数がたった三四九戸のミニ農協である。農協法が制定された一九四七年(昭和二二)以来、約半世紀にわたり組合長の座に君臨してきた奥登組合長は、そのユニークな経営手腕と行政に対する反骨精神で、大分県内では広く知られた存在だ。政府の減反政策に反対し、県や中央会が進める広域合併には絶対拒否の姿勢を貫き通している。


区域拡大で供給力アップ


 その奥組合長が反骨精神ぶりをいかんなく発揮したのが、九三年六月、県農政部に対し農協の営業エリア、すなわち事業活動の区域を県下一円に拡大する定款変更の認可を求めるスッタモンダの騒動だった。

 営業区域拡大は、奥組合長によると、「取引先のスーパーや生協などから、下郷の農産物は品質は良いけれども、供給量に限りがあり、チェーン展開しているスーパーや生協にとっては扱いにくいというクレームがあり、供給カアップを図るべく事業活動の区域を県下一円に拡大することをもくろんだ」という事情によるものだった。

 その下郷農協が営業エリアを拡げるには、耶馬渓町にある農協を合併する方法も考えられたが、町内のライバル関係にある耶馬渓農協とは経営方針も農協幹部の経営手腕にも月とスッポンの差がありすぎた。

 県や中央会は、六二年(昭和三七)と九四年(平成五)の二回にわたり合併を呼びかけていた。六二年は、町内の耶馬渓農協との合併、九四年は下毛郡七農協と中津市農協を広域合併させる構想だった。奥組合長の答えは二回とも「ノー」の返事だった。そこで奥組合長が打ち出しだのが、事業活動の区域を県下一円に拡大することだった。

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