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新・農業経営者ルポ

6代目の理想郷

コメどころの越後平野にありながら、洋ナシ「ル・レクチェ」を筆頭に果樹の産地として知られる新潟市白根地区。この地で江戸時代から続く農家の6代目・金子正は、古希を過ぎてなお旺盛な好奇心と人並み外れた行動力で、型破りな農業経営を続けている。ややもすれば、村社会で問題視されかねない彼の生き方の背景には、常に「他人と同じことはやらない」という気概があった。そんな金子が1町2反の農場に描く、作り手と消費者とが心を通わせる理想郷とは――。取材・文/李春成 撮影/齊藤栄子・土井学

 多忙の主は、あいにく不在だった。

 金子正の農園を訪れたのは、9月の初旬である。「記録的な猛暑」と連日のように騒がれたこの時期、列島は干上がる寸前の状態だった。海岸部では貝類をはじめとする水産物が大打撃を被り、平野部でもコメの品質低下が深刻に語られたものだ。

 だがたまたま上陸した台風9号が、熱でうなされた大地に一時の休息を与えた。ここ新飯田でも、気の早い秋虫たちが遠慮がちに囁き始めている。人びとを辟易させた手に負えない空が、ようやく季節の変わり目を告げようとしていた。


“他人と同じ”が大嫌いなやんちゃな初老

 待ち焦がれた主は、やけに派手な原色のアロハ姿で颯爽と現れた。しかしここは畑のど真ん中で、リゾートとは無縁の田園風景だ。昨年の冬は、大量の積雪でハウスの天井が抜けたともいう。熱帯系のファッションとはいかにも似つかわぬ土地柄のうえ、この夏、71回目の誕生日を迎えたばかりでもある。にもかかわらず、その齢に逆らうかのようなエネルギーを全身から漲らせていた。

 「まるで琉球人みたいですねぇ」

 場違いな第一印象を告げると、金子は嗄れた笑いを漏らしながら煙草に火を灯した。「オレは他人と同じことをやるのが大嫌いなんだよ」。

 どうやら地元の村社会では、いわゆる変わり者の類に含まれる人物らしい。なるほど留守をあずかる家人たちが、主の行動に無関心を装ったのも納得がゆく。

 やんちゃな初老の話は、まず土地自慢から始まった。

 「白根市というのはね、昔は海だったんだよ。ここから新潟市の中心まで約8里、30kmぐらいかな。中之口川と信濃川に挟まれた三角州地帯に、何百年にもわたってできた沖積地なんだ。だから肥沃な土地であることは間違いねぇ。ミネラルが豊富に含まれてるんだよ」

 彼が卒業した加茂農林高校の校歌も、こう謳いあげる。「大空ひたして八千八水沃土の大野を貫く」(大空を川面に映した幾多の河川が、沃土の大野を貫き流れる)と。『荒城の月』でも知られる明治時代の文学者・土井晩翠が同校に贈った詩だ。

 白根市新飯田は2005年の小泉政権時代、当時の市町村合併で新潟市に編入された。だがもともとは内陸部低湿地帯の中洲にできた集落で、明治の末期に果樹栽培を中心として大発展をとげた。金子も地元農家の6代目というから、その歴史は江戸時代まで遡ることになる。この農場をおよそ100年間見守り続けてきたナシの木「新興」が、一家の系譜を象徴する貴重な1本だった。

 ナシのバリエーションは秀玉、幸水、南水、愛宕など今や10種類以上にも増えたが、なかでも自慢なのが「幻の洋ナシ」ともいわれるル・レクチェだ。金子が30年間をかけて完成させた傑作品だった。

 「この洋ナシを食べたら、もう忘れらんないよ。まるで高貴なワインだね。そのあたりの名前の通ったナシなんて目じゃないよ。味を説明しろったって、“七色の味をミックスした幻のナシ”っていう以上、言葉で表すのは無理。包丁で切ると、スーッと落ちるように入っていくんだ。果肉の柔らかさは、女性の肌なんてもんじゃねぇな」

 苗木を植えてから収穫できるまでの効率の悪さや繊細さなどの理由から、本場のフランスでも生産農家はそれほど多くないらしい。それが「幻」といわれる所以でもあるのだが、そんな欧州の果実を雨量の多い日本で栽培しようとしたところに、金子がもつたくましき冒険心がうかがえた。

 だが彼は、農協が定める杓子定規な出荷基準に反発する。

 「農協さんは、完熟した茶色いやつじゃなきゃダメだって言うんだよ。だけど、いわば死にかけた状態の完熟から出発させられたら、百姓は泣くわな。農家さんは金が欲しいんだよ。たしかに茶色のル・レクチェが最高の食べ方かもしれない。でも収穫したばかりのやつを東京の若い人たちに食べさせたら、“これはうまい”“最高の歯ざわりだ”って、みんな口を揃えて言うんだ。ようするに茶ではなく、青でもいいっていうことだよ。だいたい若い人にもっと食べてもらわんと、百姓は商売にならんわけ。売り幅だって広がらんでしょう」

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