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特集

東日本大震災から2カ月 農業経営の再建、そして復興へ——



緊急座談会 復興に向けて農業経営者たちが果たすべき役割とは?

・出席者
只埜和臣(只埜農場/東北土を考える会 会長)、大泉一貫(宮城大学副 学長)、五十嵐善正((株)五十嵐商会 社長)、齋藤保(スガノ農機(株)盛岡営業所 所長)
・ 司会
昆吉則(本誌編集長)

【それぞれの被災体験――一宮城県人として】

――今回の未曾有の大震災は、現代の日本人が初めて経験する体験でした。本誌が読者の皆さまのお手元に届くあたりには2カ月が過ぎている頃だと思いますが、その頃には日本人全体の気持ちも多少なりとも前向きになっているのではないでしょうか。それでもこの震災の影響ははかり知れません。東日本大震災というその言葉の通り、各地に大きな影響を及ぼしていますが、ここでは宮城県の皆さまにお集まりいただきました。宮城は塩害や排水施設の問題から、約1万2000haもの水田で作付けができず、数年間は復旧の見通しも立たない中で、農業経営者としてどうしていくべきかといったことを一緒に考えていきたいと思います。
 まずは、それぞれに震災時、そしてそれ以降、どのようにお過ごしになったかお聞かせください。


五十嵐 私は震災当時、会社で来客中でした。前々日(3月8日)に結構大きな地震があったので、その余震かな? と思っていたのですが、全然収まる様子もなかったですね。で、大きな揺れが終わった後、建物から外に出ていると、社員が避難していまして、その場で全員の無事を確認しました。それから15時半前後だったでしょうか、社内にある発電機を使ってTVを見たところ、津波が映っていて「何事か」と思っていたんですが、名取川を北上して津波が畑やハウスを飲み込んでいるんです。その様子を見ていて「あの辺に妹の家があったはず」とつぶやく社員もいましたね……。
 当社の仙台や気仙沼の営業所も津波に襲われました。気仙沼は地震とほぼ同時に津波が襲ってきて、会社の看板がある高さまで水が襲ってきました。それでもみんなが一斉に高台に避難できたので、社員は全員無事でした。ただ、ご家族が行方不明のままという社員がおります。


大泉 ちょうど自宅にいましたね。その日は原稿を書いていたんですよ。国会中継を見ながら「献金問題で菅首相も終わりだな」なんて思いながら。で、地震が起きた。五十嵐さんの話すように、やけに長く感じた。これは危ないなと思って、パソコンを消して外へ逃げ出したんです。家の中にいたままだったら、本の下敷きになっていたでしょう。

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