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現場で働く中国人研修生の大半が一斉帰国する憂き目に遭ったが、これは結果的に好都合だった。
「心配する家族からの電話で帰国を決め、3月18日に出ていった。こちらが『大丈夫だから』と言ってもダメだった。収穫・調製作業をしてもらっていただけに困ったと思っていたが、風評被害で出荷できなくなり、固定費削減でちょうどよかった」
こういったケースもそうだが、風評被害を通して何だかおかしいと考えずにはいられないできごとが目の前で起きた。
「4月8・10日に東京で開かれたマルシェ・ジャポンに参加した際、放射能の数値を示して販売していると、お客さんが『この数値はいつのもの?』とか『この野菜の数値はいくつなの?』みたいな聞き方をする人がいた。JAのイベントでタダで店頭に並べていると寄ってくるお客さんが値段を付けた途端、去っていく現象もあった。そんなところを見ていると本当の危機ではないと感じる」
だが、関氏は責任のなすりつけも政府へ依存する気もない。取引している金融機関には非常時だからと金利の引き下げを要求するなど、強気の姿勢で交渉している。それは風評被害がなくなるその日まで耐える覚悟でいるからである。
「今は国難という冬が来ている。でも、行動しなければ始まらない。自ら立て直していく強い気持ちも必要である。通常の流通が戻るまでは下向きにならず、必死に耐え続ける」
【8月下旬にベストな状態でイチゴ栽培を復旧させるために】
「ちょうど来年からは、少し楽になるかと思っていたんですけどね」
宮城県登米市米山町でいちご村in米山を経営する千葉正規氏の場合、鉄骨ハウス自体にはまったく被害はなかったが、15年目になるイチゴの高設栽培ベンチ35aがほとんど全部倒壊した。完全にひっくり返っているものもあった。養液を通す配管パイプも大部分が折れた。それも土の中で折れているものが多く、掘ってみないと破損箇所が確認できない。
応急的に修理しながら、少しでも長く収穫を続けるか。それとも次の定植準備を優先するために、いち早く全面修理するか。結局、後者を選んだ。本来なら11月下旬から始まって、6月上旬まで収穫できるイチゴは、約半分しか収穫できなかった。
3月11日の震災から1週間、この辺りは電気と水道が止まった。ハウス脇にある灯油の燃料タンクも倒壊して、暖房をいれることもできない。暖房のたけないハウスで、イチゴの花は凍った。こうなってしまった後は、多少の出荷はできるとしても、すぐに限界になる。イチゴの出荷先は5割がJA経由の石巻市場と古川市場、残りの5割は仙台市内のスーパーに直販である。
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