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木内博一の和のマネジメントと郷の精神

「風評被害」には独立系農家連合で対抗せよ



 発生4日目には、和郷の温泉・保養施設「かりんの湯」を避難者に無償で開放した。避難所住民だけでなく、被害のなかった家屋でも断水のため、何日もお風呂に入れない状況が続いていた。幸い、かりんの湯では、水源に地下水を使っているため断水の影響をうけていなかった。ピーク時には、1日1600人の被災者・住民の方々に利用してもらい、疲れをいやしていただいた。年間5、6000名の農場視察のある和郷では受け入れに慣れているとはいえ、これだけの人数を毎日、受け入れるのははじめてだ。社員・パート25名を総動員して、任務にあたった。

 調達が難しかったのが燃料だった。かりんの湯は温泉水だが、温度は20度の冷泉だ。泉水は十分あっても、灯油がなければボイラーが焚けない。温泉をフル稼働するには、1日1000リットルが必要なのに、どこのガソリンスタンドにいっても売り切れだった。

 最終的には、以前に取引のあったスタンドから優先的に販売いただき手配にこぎつけた。店長からは「お互いさまです」と言われた。そういえば、リーマンショック直後、スタンド事業が苦しかったとき、取引条件を見直した経緯があった。通常、「末締め翌々末支払い」の燃料代を「末締め翌10日払い」と希望した先方の提案をそのままのんで取引していたことを覚えていてくださっていたのだろう。

 大惨事のなか、このように地域の事業者同士で「お互いさま」という言葉を何度かけあっただろうか。コスト削減の名のもと、自分に有利な取引ばかりを考えていては、こうはいかなかったかもしれない。今回ほど、地域社内の結びつきの大切さをありがたく思ったことはない。

 燃料調達は被災者向けの温泉用だけでなく、物流用トラックにも役立った。野菜配送用トラックがほぼ平常どおり稼働でき、本業での被害を最小限にくいとめることができたのだ。

 震災後、2週間ばかりで地元の支援活動は一定の成果をあげた。倒壊した家屋の片づけもほぼ終わった。断水や停電も復旧のめどがたち、避難者もなんとか自宅に戻り始めた。外部からの大勢のボランティアの力に頼らずとも、地元の行政や土建業者が本来の機能を十分に発揮できる体制に入っていた。当社への要請も縮小していった。


「炊き出し部隊」を結成

 当社チームは第2の支援活動を開始した。事前に東北3県の災害対策本部に、食品事業者として登録し、「食料物資およびその現地への手配」との提供内容を記載しておいた。農業はいつなんどきも「食を届ける仕事」という意識のもとだ。

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