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新・農業経営者ルポ

「国産」ブランド榊の大逆襲プラン。

八丈島の基幹産業といえば、やはり観光だ。その規模は40億円、漁業が8億円程度というから、20億円の経済効果をもたらす農業は決して小さいとはいえない。観葉植物フェニックス・ロベレニーの産地として有名だが、一部の生花店の間では、この地で育ったヒサカキが羨望のまなざしを受けていることは案外知られていない。神事や神棚に欠かせないこの植物は日本の各地に自生するだけでなく、一部産地では生産されていた。にもかかわらず、時代が移りゆく中で中国から輸入されたものが市場を席巻するようになった。そんな状況のなか、国産榊の復活を誓う男がいた──。取材・文/李 春成 撮影/紺野浩二(編集部)

 およそ11時間にわたる船旅から解放された底土港は、あいにくの天気だった。ぐずついた空から雨粒が落ちるなか、傘を手にした奥山完己から「おじゃりやれ(いらっしゃい)」と、島言葉で声をかけられる。ふらふらとデッキを降りてきた筆者たちを、彼は飛びきりの笑顔で迎えてくれた。

 東京都八丈支庁に勤務し、はたからは「よっけにゃー(いいなー)」と見られていた奥山が就農したのは1993年だった。八丈高校の同級生でもあった妻・理枝は、「組織に向かない」奥山の気質を見抜き、就農には反対しなかった。

 奥山にとって、強い動機となったのは、やはり島に対する愛である。東京五輪が開催される以前の貧しい時代から、炭焼きや牛の世話、薪運びや草刈りなど、様々な家業の手伝いをしてきた記憶が彼にはある。

 91年に父親が他界してからというもの、家族の間で山が荒れるのではないかという懸念が出てきた。とりわけ島の西側に位置する永郷には、奥山家に先祖代々引き継がれてきた畑があり、愛着が深い。奥山も父親と一緒に手で練ったコンクリートを土の上に敷き詰め、自前の道を作ったものだ。いまや古写真のように色褪せた一つひとつの想い出が、彼の心を就農へと突き動かしたのだった。

 八丈の代表的な作目は、今も昔も変わらず、ヤシ科のフェニックス・ロベレニーだ。だが、奥山が選んだのは「榊」、正式名称で言えば「ヒサカキ」だった。


品質を守り続けるために価格改定に踏み切る

 奥山が理枝と二人三脚で経営する「ヒューマン企画」は、市場にはほとんど出回らない国産ヒサカキを通年供給することで、ごく一部の生花店や生花市場には知られた存在である。だが夫婦だけで生産・出荷を続ける彼らには、そろそろ顧客への対応の限界が見えてきた。欲張ってすべてのニーズに応えようとすれば作りきれず、品質の劣化をも招く恐れがあるからだ。そのため今年5月には、再度の価格改定に踏み切った。当然、一部の顧客離れを起こしたが、それでもその品質と価値を理解してくれる生花店との取引はいまだに続いている。

 「値上げしてからもお取引のある花屋さんは、ウチの榊の価値をよくご理解いただいていると思います。最終的に選択するのは店頭で買うお客様ですし、価格改定しても納得していただけるようにしたいですね。欲を言えば、ウチがプライスリーダーになって、ほかの国産榊の値段も引き上げていければと思っています」

 じつは、八丈へ出発する前に奥山と交わした小さな約束があった。筆者たちが居住する都内23区内の生花店で、榊の販売状況を調べてきてほしいと依頼されていたのだ。

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