ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

特集

日本の土壌除染対策は史上最低“チェルノブイリ以下”だ! 被曝放置農地の現実を直視せよ



【農家被曝は完全無視】

 農水省は水田の作付制限を稲への移行係数から、土壌1キロ当たり5000Bq以上の農地と定めた。すれすれの4600Bqでも作付を認可した。しかし、44600Bqといえば、IAEA(国際原子力機関)の検査基準(土質・環境条件によって深度を変更。およそ2~3センチ)でいえば、おそよ平方メートル当たり10万Bqである(土の比重によって変動)。ソ連の汚染基準でいえば、汚染区域である。農水省は農業者の作業中の被曝をまったく考慮していないことがこれから明白にわかる。

 ソ連の場合はどうであったか。農家、地元住民双方のことを考え、公衆線量1mSv以下にしていくため、汚染地域間で定期的なモニタリング結果を共有していった。どのような農業対策でどれだけ汚染の低減効果があったかなど、実績とノウハウが蓄積されていったのだ。同じ方法でも砂地か粘土質かなど土質の種類によって、効果が大きく違うことも判明していった。

 ただ値を下げるだけではない。効果のある手法だとしても、追加にかかる労働時間や経費と、できた農産物の収入面を比べ、経済的に見合う方法かどうか。そのやり方が農家に受け入れられ、継続的に実践できる技術であるかどうか。そのために必要な資材が長期的に調達できるかなどの側面からも成功例、失敗例が産地間で共有されていった。

 成功例に牧草から菜種への作物転換がある。乳牛が牧草を食べて内部被曝すると、牛乳に高濃度の放射性物質が移行するため問題になっていた。牛乳は乳製品に加工しても、数十%から数分の1までしか低減しない。それが菜種の場合、油に加工すると、セシウムが250分の1、ストロンチウムが500分の1と無視できるごく微量しか作物から移行しないことが分かった。農家にも搾油場にとってもビジネスになり、事故前には無かった新たな特産品として汚染地域に根付いていった。加工技術で移行率を下げるとともに、付加価値の高い商品化によって被災地の経済に貢献するまでになった。

 それもソ連が崩壊し、未曾有の経済危機の最中のことである。しかし、こうした成功例を除けば国の助成金も途絶え、農業資材を調達するお金がない、農産物も売れない、の三重苦が襲った。防護策をとる余裕はなく、順調に下がっていたセシウムの値は、90年代の半ば崩壊前に比べ、150%へと急増したこともあった。

 ニッポン農業界は今こそ英知を結集し、放射性物質の低減、封じ込め計画を策定し、世界にいち早く公表するときである。世界でいちばん厳しい基準を設け、すべての情報を公開し、日本の農家は自ら厳しく律しているということを国際的にアピールしようではないか。助っ人外国人に先んじられることはあってはならない(一次補正予算でついた除染事業は4億9000万円のみ。その対策事業は38ページ参照。これが日本のチェルノブイリ以下の悲しい現実である)。

関連記事

powered by weblio