ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

人生・農業リセット再出発

どんなプロも最初は素人

運転“士“と、運転“手”はどう違うのか?パイロットは操縦“士”、サムライも武“士”と書く。運転士の列車・トレイン、決められた線路という型に自我欲求を入れる余地もなく実直にその軌道に沿って走らなければならない……トレイニング(訓練)の語源である。

 運転“士“と、運転“手”はどう違うのか?パイロットは操縦“士”、サムライも武“士”と書く。運転士の列車・トレイン、決められた線路という型に自我欲求を入れる余地もなく実直にその軌道に沿って走らなければならない……トレイニング(訓練)の語源である。1万m上空の旅客機も、富士山が綺麗に見えるからコースを変えるなどは許されない。高度・速度・方角など寸分の狂いもなく管制の指示に従って操縦している。弁護士も武士も同じように、動かしがたい法律やしきたり命令に従って職務を遂行する。トラックやタクシーは自分の意志に委ねる運転“手”となる。同じ意志でも、医“師”は、裏打ちされた深い知識技量に基づいて診断・施術する師となる。

 成長の段階には「守・破・離」がある。“守”はトレーニングであり、師匠の型の真似だけに没頭する段階。“学ぶ”は“真似ぶ”から来ており、そのパクリが本物として後世に残るようであれば、“仕事を似せて引き継ぐ”⇒“仕似”⇒“老舗”になる。真似 is Moneyである。“破”はパクリ盗んだものに自分流を加味できるまで成長した段階。“離”は師匠から離れ、独自の創造力を発揮し飛翔、賞賛のオマージュにまで達すれば出藍の誉れとなる。

関連記事

powered by weblio