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特集

菅野祥孝(スガノ農機(株)相談役)氏を悼む



【十勝岳噴火と復興の歴史】

昆 祥孝さんが満州から帰ってきたときは少年でした。目の前でリンチや強奪、女性が強姦される場面も見て、そのなかで同じ日本人が同胞を裏切っていくような姿もご覧になってきたそうです。そんな引き揚げ体験が祥孝さんにとって大きかったのでしょう。それから土の館のモノリスに込められた思い。十勝岳の噴火による泥流の被害を受けた農地とそれを復興させた農民たちの力と誇りを祥孝さんは強く印象づけられていたようですが。
村井 それは豊治さんにずいぶん話を聞きました。上富良野付近では約700haが泥に埋まりました。

昆 それは何年のことですか。

村井 大正15年の5月です。140人以上の方が亡くなっています。残雪を溶かした硫黄混じりの泥流が一瞬のうちに約700haを襲い、1mの厚さで覆いました。それでは作物は何もできません。でも、農家たちは山から粘土を運んで泥流の上に客土しました。トロッコなんかも使うんですが、モッコを担いで、冬は馬そりです。そのときに豊治さんは作業を容易にするためにいろんな機械を作っています。そのことから人間はダメになった土でも良くすることができると教えられたのでしょう。そこで南米に行ったときに砂漠をいい土にした……。

昆 ペルーに入植した福田さんが長い年月をかけて砂漠をオレンジの森にしたことに出会われた体験ですね。

村井 その二つのことを祥孝さんは重ね合わせてみていたのではないでしょうか。ですから、この上富良野という場所は一度ダメになってしまった土地を人々の力で元に戻した記念すべき場所だと思っていたのでしょう。ここにお墓があって、そのお墓の前に土地を買い、事務所を移転してそこを農業機械の実験地にしたいと動いたのも、創業精神を忘れないためにここを充実させようとしたからですね。
それとスガノは、たまたま景気のいいときに昔工場のあった場所が売れ、土の館を建てました。お金を持っていてもしょうがないからもっと有効に使えないか。それで、「祥孝さん、ヨーロッパと同じような技術博物館を作らないか」と勧めたんです。耕すことに焦点を当て、なぜ人は耕すのか、耕すことによって土地はどうなるのか、そのことによって人がどう潤うのかというようなことを体感できる農業技術博物館を作ろうと。そして80数台のトラクタ。ほとんどが昭和30年代のもので、当時、家1軒するほど高かったトラクタです。買った人たちはだいたい30代の若い農家たちで、勝部さんは20代で買っています。昼も夜も通しで働いて、賃作業で2年くらいで元を取りました。すごい時代があり、人もいたわけです。そういったものを粗末にできないということで集めました。トラクタの歴史を見るだけでも価値があるわけですね。プラウそのものがどう変わったかもわかります。平成16年には北海道遺産に認定されました。祥孝さんと元専務で初代館長の穐吉さんがいたからこそできたことです。

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