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高橋がなりのアグリの猫

100年後の視点から現代日本の常識を考えてみる

100年後の歴史の教科書で平成の日本に見出しを付けるなら「大衆・弱者の権力の増大から始まる横暴により国力が衰退した平成時代」と書かれるのではないでしょうか? 何故、100年後かと言えば、行き過ぎた個人主義が蔓延した現代の常識でディベートすれば多勢に無勢で勝てっこないからです。また、理不尽なことをこれから書かせていただきますが、震災も放射能も政治も理不尽なものなのです。
 100年後の歴史の教科書で平成の日本に見出しを付けるなら「大衆・弱者の権力の増大から始まる横暴により国力が衰退した平成時代」と書かれるのではないでしょうか? 何故、100年後かと言えば、行き過ぎた個人主義が蔓延した現代の常識でディベートすれば多勢に無勢で勝てっこないからです。また、理不尽なことをこれから書かせていただきますが、震災も放射能も政治も理不尽なものなのです。世の中や人生から理不尽はなくならない必要悪と考えます。それならばなくす努力よりも上手く付き合って行く努力をお勧めしたいからです。

 中国の発展は理想的な発展とは決して言えませんが、今後日本と中国の経済力の格差は引き離される一方になると予測しています。その最大の要因は弱者に対する理不尽がまかり通っているからです。共産党一党独裁という政治の安定が背景にあるからでしょう。対して日本の政治は弱者に媚びなければ政権を維持できないという状態です。昨今の兼業農家に媚びた政策を打ち出した政党が与党になる結果は偶然ではないはずです。将来日本の国力が弱ってしまったら、“仁”の精神である弱者救済の精神があっても見捨てるしかない時代が必ず到来するでしょう。

 日本には沢山の弱者が存在します。産業の弱者と呼ばれる第一次産業・年齢の弱者であるお年寄り・自由経済の弱者である失業者や低所得者・道路交通法の弱者である歩行者や自転車・性別の弱者である女性・身体的弱者である障害者……これらの中にそれぞれの本分を忘れ義務を果たさなかった結果の弱者が紛れ込んでいないでしょうか。そんな輩が毎日のように声高に弱者の権利を主張しているように感じています。

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