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フーテン人生の無邪気な視点

見極めたい過疎の真実

真夏の日差しを浴びてキラキラ光る用水路には小魚が流れに逆らって泳いでいる。幅1mあまりの用水路には各戸の玄関先だけに石板が渡され、四畳から六畳程度の土間に続いている。土間と畳部屋との境は縁側。お使いで訪れた近所の人たちや郵便配達人は、家人に促されると縁に腰かけて冷たいお茶やカルピスをり、涼を取っていた。

 真夏の日差しを浴びてキラキラ光る用水路には小魚が流れに逆らって泳いでいる。幅1mあまりの用水路には各戸の玄関先だけに石板が渡され、四畳から六畳程度の土間に続いている。土間と畳部屋との境は縁側。お使いで訪れた近所の人たちや郵便配達人は、家人に促されると縁に腰かけて冷たいお茶やカルピスをり、涼を取っていた。

 これは京都の街中ではなく、拙父母の育った秋田県横手城下の街中で昭和40年代後半に見掛けた光景である。母方は商家だったので、親類筋ではこのような場面をよく目にしたが、今ではこのような造りの家はほとんどないそうだ。大半の水路も暗渠になっている。

 毎年夏休みに東京から遊びに行っていた小学生の筆者は、同年代の従兄妹たちと山野を走り回り、川遊びをし、彼らの登校日には一緒に学校に行って、地元の子供たちと一緒になってプールで遊んでいた。

 父方の本家は農家だった。父は10人兄弟の8番目だったので、戦中は兵士、戦後は都市労働力として、その家を離れることになった。長男以外の多くが故郷を離れる。この人口流失は人口減少の要因のひとつだろう。地元に残ってリンゴ園などの農家を営んできた伯父家族もいたが、今となっては高齢の伯父たちが維持するのは家庭菜園程度である。茅葺の本家と巨大な土蔵を囲んでいた広大な田畑は、なぜか生産の用を終え、いつしか大きな建物やプレハブ住宅地となり、横手盆地の景観を緑から白へと変えてしまった。

 

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